父のために私は人生を捨てた
「もう限界……」A子さん(46歳)は思わず呟きました。
A子さんの生活が大きく変わったのは5年前。A子さんが41歳のときに母が亡くなり、父は独居生活に。父は「男子、厨房に入るべからず」という古いタイプで、食事や掃除、洗濯も満足にこなせませんでした。
そんな父を心配したA子さんは、未婚だったこともあり、一人暮らしをやめて実家に戻ることに。職場への距離は一人暮らしの時よりも40分増え、片道1時間半。往復3時間の通勤は負担でしたが、そういう生活をしている人もいると割り切り、日々を過ごしていたといいます。
そんな日常が大きく変化したのは、同居を始めて3年、父が75歳の冬のこと。自宅玄関で転倒し、大腿骨を骨折。入院とリハビリを経て退院したものの、杖なしでは歩行が困難になったのです。
地域包括支援センターを通じて要介護認定を申請した結果、父は「要介護2」と判定されました。しかし、父は「お前がいるし、何かあっても助けてくれるだろ? 他人様に頼って迷惑をかけたくない」と介護サービスの利用を頑なに拒みました。
もともと社交的とはいえない性格の父。他人に頼るのを嫌がるのも、娘として理解できました。しかし、階段の上り下りや入浴の際には補助が不可欠で、簡単な家事がなんとか一人でできるという状況。A子さんは、父を一人で家に放っておくことはできませんでした。
介護中心の生活も「もう限界」
結局、A子さんは正社員の事務職を辞め、家の近くのアルバイトで週4日勤務することに。お昼休みには自宅に戻り、父の様子を見てからまた仕事に戻るという、父の世話を中心にした生活に切り替えたのです。
しかし、父は思うように体が動かせないストレスから、A子さんにあたることが増えていきます。なんとか耐えていたA子さんでしたが、「もっとちゃんと補助してくれ」「気が利かないなぁ」といった言葉の数々。ある日、なんとか切れないようにと頑張っていた糸がぷつんと切れたのです。
父の年金は月15万円、貯金は約1,200万円。バリアフリーのリフォームや介護用品などの出費で貯蓄は確実に減少していきます。一方、A子さん自身も収入は激減。「お金を無駄にできない」という思いで、趣味も諦めました。
友人とも滅多に会えなくなり、夜も父の介助をと思うと、眠りが浅い毎日。それでも、父はそれを望んでいるし、天国の母も安心するだろう……その一心だったといいます。
「お父さんの面倒を見るために、どれだけ人生を犠牲にしてきたと思う? それなのに責められてばかり。もう限界、やっていけないよ……」
