相手の要求にあえて応じて、条件交渉に持ち込む手も
しつこいようですが、紛争が発生した後でも「もう残された手段は裁判(仲裁)しかない」と「諦める」以外にも、まだ工夫の余地はあります。
たとえば、連載第1回で紹介したYM社の事例のように、契約違反となるような仕様の変更を求められた場合であれば、正面からぶつかって相手方の契約違反を追及するよりも、いったんその契約違反の要求にあえて応じることも検討していいでしょう。相手方が最初から契約をご破算にするために無理難題を押し付けているのでなければ、の話ですが。
たとえば、一応仕様変更には応じておいて、本当に相手方が受領したいと望むようなものを準備した上で、追加料金を請求するなどして価格面でネゴることもできます。さらに相手の仕様変更の要望に応じることと引換えに、契約書を自社に有利に作り直すことに同意させることも有効です。
「納期については別途協議することができる」とした自社に不利な部分の契約規定をこれを機会に修正させるのです。こちらが、相手が本当に欲しがるようなものを手にしていれば、交渉において強く出られます。
この方法は、多少追加の費用はかかるにしても、仲裁に持っていくよりよほど有益な解決ができるかもしれません。
あるいは別の考え方として、今回の取引ではYM社がT社の要望を受け入れていったんは仲良くして関係を継続し、次の取引受注につなげるのです。次の受注の際に、見積金額に若干「特別プレミアム(※1)」を上乗せして、前回の損を取り返す算段をする、という考え方もあります。
(※1)これは専門用語ではなく、「前回の取引で損をさせられたことを考慮して、その取引先に対する次回の受注金額を高めに設定すること」という程度の意味で使っております。
弁護士を通じた「和解交渉」はまさにチキンレース!?
なお、裁判や仲裁といった法的手続を、相手方との交渉や和解に持ち込むための手段、と考えることもできますが、これには次のような注意が必要です。
筆者は、弁護士でありながらあえて自分達の無能をさらすようですが、弁護士を通じて法廷や仲裁に出れば交渉や和解がこちらの有利に進められると安易に考えない方がいいと思っております。
確かに、海外でも訴訟に持ち込んで判決に至る前に和解が成立する場合がかなり多くあります。しかしそれは必ずしも弁護士が交渉上手だから和解ができるのではありません。
実は、裁判が続けば続くほど弁護士費用が高額になってしまい、万一負けた場合には相手の弁護士費用も負担しなければならない、という恐怖が当事者に働くから和解が進みやすいだけ、なのです。
たとえば、弁護士を通じたよくある和解交渉はえてして次のような展開をするものです。
①訴訟が開始した後いずれかの段階で、原告(請求する側)がまず自分の想定する最低限の金額より多めの金額を和解案として提案します。
②すると被告(請求された側)は必ず自分の想定する最高限度の金額より低めの金額を逆提案します。当然両者の金額にかなりの開きがあります。
③その後、原告側が若干譲歩して少し提案額を下げ、さらに被告側がまた若干譲歩する、というやり取りを何度かしていきます。だんだんと①で原告が提案した金額と②で被告が提案した金額の中間値に近づいていきます。
④そうこうしているうちに裁判の次の期日が近づいてきます。次回期日までに和解できないと、次回期日のために弁護士が書面作成や証拠提出などの準備をしなければならないため、追加の弁護士費用が発生してしまいます。
⑤この追加の弁護士費用を払うのが嫌なので、しびれを切らした側が「金額に納得はいかないが、やむなく相手の提案を飲もう」という消極的な理由で相手の提案を受け入れて和解が成立します。
まさにチキンレースのような状況です。この理由は弁護士報酬について、そもそも日本と海外では大きくシステムが違っていることが原因にあります。
日本の弁護士が国内で訴訟する場合は、請求金額に応じた固定額の着手金と成功報酬をその代理人としてのサービスの対価とすることが認められています。したがって、手続が延びても弁護士費用がどんどん増えることには通常なりません。
しかし、日本でも外国案件を多く扱う法律事務所や海外(特に欧米)の法律事務所の弁護士報酬はほとんどがタイムチャージシステム(※2)です。香港など国によっては成功報酬による報酬の請求が禁止されているところもあります。
(※2)弁護士ごと1時間当たりの報酬が決められていて、それに働いた時間をかけた金額が報酬金額として請求されるシステム。
また、訴訟や仲裁における弁護士費用は負けた側が自分たちの弁護士費用だけでなく、勝った相手方当事者の弁護士費用も負担する、という制度となっている国が多数あります。
したがって訴訟や仲裁の手続が長引けば長引くほど、弁護士費用(自分のものと相手方のもの双方)の合計額がとんでもない勢いでどんどん増えていってしまうことになるのです。そのため、訴訟や仲裁を起こした後で和解交渉に入ることは、早く和解をしないとどんどん課金されていってしまう、という心理的強迫が働きます。
訴訟上の和解交渉は、このように当事者を心理的に和解に「追い込む」ような、当事者にとってはとても心臓に悪いモノになります。弁護士の側から見ていると、当事者にとっては必ずしも納得に基づいた円満解決とはならないように見えます。
日本国内なら、早期和解の可能性もあるが・・・
なお、一般的な見方として、当事者同士ではなく、冷静な弁護士同士で交渉すれば論点が整理されて結果として落ち着くべきところで和解できるのではないか、という意見もあります。
確かに、日本国内であれば弁護士同士で話をすると論点が整理されて落としどころが見つけやすいため、早期に和解が成立しやすいことはたまにあります。
しかし、日本国内でそれができる主な理由は、①仮に裁判になったとしても日本の法律と裁判所という共通の土俵で戦えるし、②裁判になった場合の弁護士費用が着手金・成功報酬のためあらかじめ想定できる、という前提があるためだと筆者は思います。
外国企業相手の争いの場合には、日本国内のようにじっくりと裁判での交渉を進められません。そもそも弁護士同士といえど、養成の仕方や思考方法は国によって大きく違っていますので、必ずしも当事者同士に比べて議論が噛み合いやすいとはいえません。
先進国である日本と香港の弁護士の間でも、その起源が日本は大陸法、香港は英米法というように大きく違っています。このために法律用語に対する前提の理解が異なるため、弁護士同士の議論が食い違ってしまうことが多々あります。
さらに、先ほど述べたとおり、海外の企業との裁判や仲裁を通じての和解交渉というものは、早く判断しなければ費用がどんどんかさんでしまうというチキンレースのようなものなのです。
読者の皆様には、これらのことをあらかじめ念頭においていただいたうえで、弁護士による訴訟や仲裁を通じた交渉や和解といったものを利用していただききたいと思います。いずれにしても、筆者は、交渉というものは必ずしも弁護士を通じてやるのが一番適切なのではないと思っております。
あくまで自社にとって取りうるあらゆる交渉手段のうちの一つ、と位置づけて、事前によく吟味した上で弁護士を交渉に利用していただければ、と思っております。