存亡の“危機”の時代に入った米国
繰り返すが、米国ではかつてのミドル階級がほぼ壊滅状況にあるなか、一握りのスーパーリッチ(ロシア流に言えばオリガルヒ)が、米国が稼ぎ出す富を独占している。
しかも、イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾスなど名立たるスーパーリッチは過去の米国の大富豪と比べて、桁違いに凄まじい富を蓄えるに至った。こうした現実が、近年推し進められてきた米国式システムが招いた結果として、白日の下に晒されているわけである。
少なくともいまの米国的なやり方では、米国は持続不可能だと、私は考える一人だ。つまり、米国のように自由を持ち、人権を意識しながら、民主主義や平等主義を謳(うたいながら、右のようなスーパーリッチが生まれる国家などあり得ないからだ。
矛盾の上に矛盾を“重ね”続けてきた現在のシステムは限界間近ではないか。国家としての今後を考えたとき、米国は存亡の“危機”の時代に入っているのではないか。
それでは米国はどうすればいいのか?
米国の選択肢は二つあると、私は思う。一つは一握りのスーパーリッチを解体することだ。
かつての日本でなされた財閥解体のようなものだが、米国でも1900年代にセオドア・ルーズベルト(26代大統領)の手により、巨大企業の独占にメスが入り、富の再分配が行われた。彼は当時のスタンダード・オイルやロックフェラーが構築したカルテルを次々と“解体”していった。
そして同姓のルーズベルトである、フランクリン・ルーズベルトが32代大統領になったのが1933年であった。彼はニューディール政策を掲げ、年金制度を創設したり、労働組合の設立など現在の米国の社会的機能の基礎づくりに邁進した。
その当時の労働者からすれば、二人のルーズベルトはとても素晴らしい政治家であったが、独占資本家たちにとっては“天敵”のような存在であった。
それはスーパーリッチに対する“連邦所得税率”に如実に表れていた。1960年時点で米国で年間40万ドル以上の収入がある金満家トップ層に対して、なんと収入に対して91%が“課税”されていた。この超重税システムは連綿と続き、1980年代まで70%台がキープされていた。その後、2017年には33%まで下落していた。
現在の米国はどうか。トップ10%の金持ちが連邦所得税全体の72%を払っている。さらに詳しく調べると、トップ1%の金持ちが全体の40%を払っている。逆にボトムの50%の層は全体の3%しか払っていない。
そして米国のもう一つの選択肢は、米国自体が民主主義、自由主義、平等主義などをかなぐり捨てて、ロシアのようにオリガルヒが支配する国にすることである。
資本主義の暴走の“主人公”である一握りのスーパーリッチを解体してリセットをかけるか、もしくはスーパーリッチが“支配”する政治システムに移行させるか。
今後早い時期にどちらかに移行しなければ、あり得ないほどの貧富の差をつくってしまった米国という国は持ちこたえられない。二択のうちのどちらかを選ばなければならない。いまのトランプ大統領は後者、スーパーリッチが支配する国を目指す試金石として登場してきたのではないか。
ただ米国の歴史を鑑みると、この国は面白くて、間違った選択、オプションを必ず試してから“正解”を見出すところがあるのだ。
エコノミスト
エミン・ユルマズ

