目的の明確でない努力をやめる
僕はサラリーマン時代、「忙しい、忙しい」と言いながらたくさんの資格を取得した。中小企業診断士、証券アナリスト、AFP、ソフトウェア開発技術者、日商簿記2級、TOEIC800点、この他にもシステム系と金融系の資格をいくつも……。ではそれが会社員として役に立ったか、あるいは起業してから役に立ったかと問われれば、かなり怪しい。
客観的に見ると僕の評価は、「資格の勉強は頑張っているが、仕事はそれなり」みたいな感じだっただろう。いずれ起業すると決めているから会社の評価はどうでも良い、と言ってしまえばかっこいいが、起業してからも資格がさほど活きていないとなると、また話が変わってくる。今となっては、資格の勉強はほぼ、趣味みたいなものだったような気もする。
当時の僕は、目的が明確ではなかった。なんとなく仕事を頑張り、資格取得も頑張っていた。やって損はないだろう、いずれどこかで役に立つこともあるだろう。どっちに転んでもムダにはならないはずだ。その程度の感覚だった。若手の頃、20代前半くらいはそれでも良いが、いつまでもその感覚を引きずってしまったのは効率が悪かった。
仕事に関しても、そうだ。資料作成ひとつをとってみても、その資料のクオリティを高めるために夜遅くまで残業していた。顧客にプレゼンする資料ではない。社内の意思決定だとか、ましてや上司への説明にしか使わない資料であっても常に100点を目指していた。それが評価され、優秀だと認められて出世する……そんなイメージがあればまだ良いが、それすらないまま、ただ、やっていた。仕事とはそういうものだと思い込んでいた。
社会人としてある程度の経験を積んだら、そういう目的の明確でない努力をやめよう。社内の資料は80点で良いし、60点でも良いかもしれない。ゴールを上司(この場合、上司が顧客だ)に確認して、効率的にぎりぎりの合格を目指そう。いきなりパソコンに向かって資料をつくるのは効率も悪いので、まずはざっと手書きでイメージをつくる。できれば手書きの段階で一度見せて、イメージを共有化すると効率的だ。
資格試験も同じ。どうしても必要な資格は効率的に、ぎりぎりかつ確実に合格して次に進もう。起業に関して言えば、必要な資格というのはほとんどない。数々の資格を取った僕が言うのだから、間違いない。ごく一部の、本当に必要な資格は必要なタイミングで取れば良い。それすら、資格を持っている人と組むだけで解決されることもある。いつかどこかで役に立つかもしれない、という考え方で難関資格に挑むのは、効率が悪いので避けたほうが賢明だ。資格の勉強は慣れてくると楽しいので、趣味として割り切るならば悪くはないが。
「経験値を上げるため、興味のないことにも取り組む」は果たして有効か?
僕のところに相談に来る人の中には、「頼まれたことは全部やる」という考え方の人がいる。起業家のコミュニティで役員を依頼されるとつい受けてしまい、それでいつも忙しくなっている。イベントにも誰かに誘われれば行くし、単価が低くても知り合いに頼まれた仕事ならやる、と。これは前述の「良い人をやめる」にも関係するのだが、もう一つ「成長への過剰な期待」というのがあるのではないかと考えている。
僕から見ると、そんなことをやっても儲からなさそうだし、あまり将来につながる感じもしない。かといって楽しんでいるわけでもない。「じゃあ、なんのためにそんなことをしているんですか」と質問すると、返ってくる答えはこれだ。「これも良い経験だし、成長できると思って」。
確かにスティーブ・ジョブズの「コネクティングドット」の話は有名だ。念のために説明をしておくと、ジョブズは学生時代、カリグラフィーという「字を、いかにかっこよく書くか」という授業になぜか興味があり、熱心に学んでいた。そのときはそれが何の役に立つのかはわからなかったが、のちにAppleのマッキントッシュというパソコンが多数のフォントを持つことになったという話。ムダな経験はないからいろいろなことをやっておけ、ということになる。
ただこのエピソードでジョブズが伝えたかったのは、「とにかくいろいろなことに手を出せ」ということではなく、「目の前の興味があることに没頭せよ」という意味だと思っている。確かに、ムダな経験というのはない。15年のサラリーマン時代を振り返っても全ての経験が今の僕の血肉になっているというのは間違いないが、それはそのときそのとき、目の前の仕事に没頭していたからだと思う。
だから、目の前の成果に直結する行動を避けていろいろなことに手を広げるのは、本末転倒だ。今やるべきことに、没頭すべきだ。それが結果的には成長するための最短ルートだ。成長に過剰な期待をして手を広げることは、ときに成果の最大の敵になる。目的に直結する「やるべきこと」に、没頭しよう。
