学歴はあるが、考える力がない人
髙宮
どのような事例でしょうか?
濱中
私です。
髙宮
それは驚くと同時に、大変興味深いです。
濱中
「学歴はあるが、考える力がない」のは、まさに学部時代の私です。大学院に進学する前の私には、東大卒という学歴だけはありました。でも、それだけでした。
私は地方の公立高校出身で、高校時代を過ごしたのは1990年代の前半です。この高校時代が、文字通り受験勉強、教科の勉強に打ち込み続けた3年間でした。最初から東大を意識していたわけではなく、「東大に行けたらいいな」くらいに、漠然と意識していた程度です。苦手な教科もありましたので、高校1年生の頃は、まったく別の大学を志望校としていました。
それでも、個別の進路指導の際に担任の先生から「東大を目指しなさい」と言われたんです。後になってクラス全員がそう指導されていたことを知るのですが、いずれにしても「東大を目指せ」「一番を目指せ」ということはよく言われました。私も自分自身の偏差値を眺めては、「本当に目指せるのかな」などと考えながら、先生から与えられる目の前の課題を一生懸命こなしていました。
このように、ただテストで点数を取れるようにする。偏差値を上げることだけに専念していた。それが高校時代の私です。私が教育を受けた時代には、探究学習などありませんでした。あったとしても、当時の状況から想像すると、「考える」ことに自ら時間を割いたとは思えません。
その意味では、今の高校生たちのほうが、当時の私よりはるかに「考える」ことにチャレンジしているように思います。ちなみに、先ほどの私自身の「構え」のようなものは、大学に進学してからも、しばらく変わることはありませんでした。
「考える力」と時代背景
髙宮
学歴や学力、あるいは学び方には、時代背景なども関係してくると思います。時代は少しさかのぼりますが、共通一次試験がスタートしたことで、大学の「序列化」がしやすくなりました。これは大学ではなく予備校の目線にはなりますが、共通一次試験をきっかけとして、大手予備校が全国展開を始め、言葉を選ばずに言えば「情報戦」がスタートしたわけです。このような経緯の中で、「偏差値」という言葉が頻繁に用いられるようになりました。
次のターニングポイントは、いわゆる「バブル」前後の時期です。この頃は18歳人口が多かった時期で、1972~1974年生まれが200万人を超えていました。この世代が大学を受験するのが、1990~1992年です。
濱中
その時期は確かにそうでしたね。
髙宮
この頃は地方の大学の定員が今よりも少なかったので、地元に残る確率が結果的に一番低くなってしまいました。地元に残りたいと思っても定員が少ないので、生まれ育った土地を出て大学に進学しなければいけない。こうした状況の一方で、世の中はバブル景気で浮き足立っていました。
このような時代背景があったからこそ、「地元を離れて少しでも良い大学へ」、もちろんここでいう「良い大学」とは偏差値の高い大学を指しているわけですが、そのような風潮が強くなっていたのだと考えることができます。
濱中
とても興味深い分析です。
