家族の仲が良くても、遺言は必要
前回の続きです。遺言の重要性についてお話をしていると「うちの家族は仲が良いから、遺言なんてなくても大丈夫」と言われることが多くあります。しかし、「うちの家族は仲が良い」ということは、遺言を作らなくてよい理由にはならないのです。
まず、客観的な事実として知っていただきたいのは、相続紛争が増加しているという事実です。裁判所の相続紛争は28年間で2.5倍近くに増えているのです。みなさんのお宅の遺産分割がまとまらないとしたら、どのように解決していくでしょうか。身内の問題なので、まずは、家族同士で話し合って解決を図ろうとするでしょう。
もちろん、それで解決することも多くあります。それでももめてしまうと、弁護士に依頼をすることになるでしょう。実際に、その段階で連絡がくることがほとんどです。しかし弁護士も、すぐに裁判所に申し立てることはせず、家族の問題なので話し合いで解決するように事を運びます。それでも解決しない場合に、裁判所の協力を得ることになります。
相続紛争増加の数字は、もめにもめてどうしようもなくなった結果、裁判所に持ち込まれた案件だけを集計したものといえます。ですから、この数字の背後には、この数倍もの遺産分割でもめた事例が隠されているということです。
それでは、なぜ相続紛争が増えているのでしょうか。
ひとつとしては、「権利意識が高まっている」ことが要因だといえます。戦前は家督相続といって、長男が全財産を相続するのが当たり前でした。しかし、戦後の民法では、兄弟は平等に相続することになっています。ただ、家督相続のことが多くの人の意識の中に残っている間は、いざ相続が発生しても「長男が継ぐのが当たり前だ」という認識があり、相続紛争にまでは発展しにくかったようです。しかし、最近では兄弟の相続分は平等という意識が浸透し、兄弟が自分の権利を主張するケースが増えてきたことが、相続紛争増加の要因の一つと考えられています。
それと、もう一つが核家族化です。一緒に暮らしていたり、近くで暮らしていて交流も頻繁であれば、お互いの経済状況もわかります。しかし、最近では、兄弟同士が遠く離れて住んでいて、ほとんど交流がないケースも多いのです。そうすると、お互いの生活状況がよくわかりません。年老いた両親と同居をしている兄弟の苦労がどれほどのものか完全には理解できないでしょうし、それぞれの生活がどのような状況かもよくわかりません。
「遺言」こそ争族を減らすカギ
お互いの苦労や生活状況を理解していれば、話し合いで歩み寄ることも可能です。しかし、それがわからないと、なかなか歩み寄りのきっかけが得られず、主張が硬直化してしまいます。このようなケースがたくさん起きているのが現実なのです。
さらに、相続人の高齢化も要因の一つとして挙げられます。相続人が高齢化してくると、認知症に代表されるようなさまざまな病気にかかることも多く、そうした場合、代理人が必要になるなど相続手続きが煩雑になってきます。谷沢家の事例をみて、「うちは争族にはならない」と断言できるでしょうか?
確かに、いまのうちは兄弟関係は良好かもしれません。しかし、その仲の良い状態が永遠に続くとは限りません。経済状況や生活状況というのは、年々刻々と変化しています。親が亡くなったときに、子どもの進学時期だったらどうか。リストラされてお金に困っていたらどうか……。そのときの生活状況によって必要なお金の額は変化してきます。
相続は金銭に直結する問題です。お金のことをきっかけに仲が良かった家族が争うのは、亡くなった親にとっても、家族全員にとっても、あまりに悲しいことではありませんか。「ウチの家族は仲が良いから、遺言なんてなくても大丈夫」というのは、あくまで現時点での仮説にすぎません。それは現在のことです。将来のことまではわかりません。万が一に備えておくことが、家族に対する最後の愛情を示すことに繋がります。
遺言を残して、家族が納得できるように準備する、ということはとても大切なことなのです。
【相続のポイント】
この事例で、お父様が亡くなる前に、日頃家族で話していたように、卓郎さんらが事前に相続権を放棄しておけば、相続紛争は避けられたのでは? と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。相続権を事前に放棄することはできたのでしょうか。
結論から言うと、相続権の事前放棄という手続きは認められていません。もし、卓郎さんが正嗣さんのご存命中に、「正嗣さんが亡くなっても自分の相続分は放棄する」という一筆を書いていたとしても、実際に正嗣さんが亡くなった後に相続分を主張することは可能だということです。
また、生前に推定相続人の間で遺産分割について合意をしていても(生前協定)、この協定は法的拘束力がありません。ですので、事情が変わったからもっと欲しいというような、異なる主張は認められます。
ただ、遺留分(最低限相続できる権利)については、家庭裁判所の許可を得れば事前に放棄することは可能です。たとえば正嗣さんが全財産を和正さんに相続させるという遺言を書いていて、卓郎さんが遺留分の事前放棄をしていたのであれば、正嗣さんが亡くなった後、卓郎さんが相続分を主張することはできなくなります。