パート主婦、結婚当初から「義実家とギクシャク」していた理由
愛する家族を失うのは、大変なショックと深い悲しみを伴う。ましてや亡くなった人が一般的に「働き盛り」といわれる年齢ならなおさらだ。しかし、亡くなった人を巡り、遺された家族にさらなる軋轢が生じることもある。
話を聞かせてくれたのは、世田谷区在住のパート従業員、鈴木陽子さん(仮名)50歳。
「この春に亡くなった夫とは大学の同級生でした。就職した年にすぐ結婚したのですが…」
陽子さんの夫は、就職氷河期だったにもかかわらず、激戦を勝ち抜いて希望の企業へ就職したエリート。だが、一方の陽子さんは思うような成果が出せず、知人のツテで小さな法律事務所の事務員として就職。給料はわずかで生活するのもギリギリだった。
「当時付き合っていた夫は、私の給与明細を見て驚き、〈だったら、もう結婚してしまおう〉とプロポーズしてくれたのです。とてもうれしかったですが、それが夫の親族との関係悪化を招いた、根本原因だったと思います」
陽子さんの夫は横浜市出身だが、陽子さんは、東京まで飛行機の距離の地方都市出身。また、陽子さんは父親と早く死別したため、母ひとりの厳しい経済状況。奨学金とアルバイトで大学生活を送っていた。
「夫の家族からみたら、将来有望な息子が社会に出てすぐ〈つかまった〉ように見えたのでしょうね。私たちに子どもができなかったことも、つらく当たられる大きなでしたが…」
とはいえ、陽子さんと夫は仲睦まじく、2人で暮らすぶんには幸せだったという。
「私は結婚3年目に母を亡くしました。母は賃貸住まいで、親族もないため、私には郷里がありません。夫の実家には夫婦で足を運びますが、それがつらくてつらくて…。でも、妻の務めだと思ってがんばりました」
陽子さんの夫も、40代で父親を見送ったというが、それが夫の家族との雪解けになることはなかった。
40代後半の夫に、まさかの重病発覚
陽子さんの夫は、父親の死後、相続したお金の一部を頭金として世田谷区に新築マンションを購入した。陽子さんは引き続き、扶養の範囲でパートをしながら夫の帰りを待つ、穏やかな日々を送っていた。
ところがある日、陽子さんの夫は勤務先の定期検診で深刻な病気が発覚。入院や手術を繰り返すも、50歳の誕生日を過ぎてすぐ、亡くなってしまったのだ。
陽子さんの収入は多くないが、夫を亡くしたことで住宅ローンの返済が免除に。貯金もあり、高額な生命保険も下り、遺族年金も支給され、当面の生活に不安はなかった。
「夫はとにかく、自分の病気よりも私の生活を心配してばかりでした。そのため、司法書士事務所を経営している大学の後輩に相談して、病床で遺言書を準備してくれたのです。〈陽子は事務手続きが苦手だからな! でも、彼が全部やってくれるからね。大丈夫〉と…。司法書士の後輩の方と、病室を出て声を殺して泣きました」