「ラブホテル」の売却価格は従業員つきで1億円!?
若者の自動車所有率は増加し、車がなければガールフレンドとのデートすらできない時代でした。そして、月間で500万円、年間6千万円の税引き前利益を生む建物が出来上がったわけです。今でいえば利回り10パーセントで6億円の物件でした。
先輩(代表)の偉いところは、資金の続く限り、建物を先行して建て続けるという作戦であったと思います。あっという間に周辺には十軒に及ぶラブホテルが林立することとなりました。建てれば建てるほど若者たちが、自動車で押し掛けるという話題性も手伝って、他の業者も土地を確保しながら、進出し始めてきました。
その頃、我々は年間十六棟のラブホテルを経営するまでになっていましたが、そのうち半数が一年以内に開業するという荒業でした。二週間に一軒の割合で新築開業していたため、私は心身ともに疲労困憊し、家に帰っても子供たちと過ごす時間さえ無くなっていたのでした。
サービス業の中でもホテルの運営は年中無休が当たり前。この当時、オープンしたホテルには営業マンとして雇用された社員がフロント業務も見よう見まねでこなしたものです。二十四時間交代制。役職者は時間の感覚などなく、AホテルからBホテルへ次々に移動し、求人募集をして従業員教育をして、次の新規ホテルの開業地へ行くというとんでもない、今でいうブラック企業のような会社にいたわけです。
その頃、同じように日本国中をターゲットにして展開していた有名なちゃんぽんチェーン店がありました。そこのコックさんも同じような待遇で新規店が開店するたび、無休で働き、軌道に乗ると、次の新規店へわたっていくという作業をしていました。そういう時代であったのです。
ホテルの仕様は理想的には三十室で経営するのが従業員の効率性からベストであったのですが、売却用のホテルでありましたので十五室としました。それでも昼夜満室状態で、税引きで500万円の売り上げを確保している状態でした。
売りに出すときには、新聞紙上での反響がほとんど。売却価格は従業員つきで1億円でした。格安でしたが、この価格でないと残念ながら新規参入の購入者はいなかったのです。一度購入すれば、また購入したくなるのはなぜか?それは如何にその利益率が高かったかで、業者なら計算すれば分かるはずなのです。
他者の一歩先を行くには「アイデア」がすべて
建物は十五室で一部屋あたりの建築コストは鉄骨造りであったので500万円を切る程度でした。売却時の利益は土地を安く買い上げたことで、まるまる利益となったわけです。一棟当たり5千万円の利益でした。
売れるまではホテルとして営業しつつ、売れたら驚異の利益で購入した人はさらに顔がほころぶ、というわけです。商売は自分だけが利益を得るのではなく相手にも利益を残すという信念を貫きました。そのホテルは、現在でも営業しているので三十年以上稼いでいるということになります。
さらに、場所によってはパチンコ店舗を経営しました。パチンコ店舗については様々な問題があり、三店舗しか許可を得ることができなかったのですが、これも無指定区域のような土地(坪5千円程度)に営業許可を取って、建物を建てて同業者に売却するという方法をとりました。
ここまで述べたことに共通する条件は、二束三文の土地を相場から、いかに高く売却するかの手段を提示しています。アパート経営では得られない楽しさとぼろ儲けのからくりはこういう方法、やり方ひとつで企業の経営は莫大な利益を生み出す源泉となります。
人生の過ごし方というのは、その人の価値判断がどこにあるかを的確に見せてくれます。大切なのは、経営者個人の能力というより、未来をみすえた方向性。十年後、二十年後の予測ができないとうまく経営できないのです。
現在は葬儀場専門に土地を開発し、建設し、同業者に売却しています。これが利益の産み方だと考えています。人がしていることをまねる方法は二番煎じといって余り旨みがないのは常識。何事も、人の真似では大きな飛躍を産むことはありません。他者の一歩先を行くには、やはりアイデアがすべてなのです。
何をヒントにこの方法にたどり着くのかは簡単。その当時は常にアメリカの後追いをしていたように思えます。アメリカでブームになったものは必ず日本でもブームになる時代がありました。