「1億総中流」と呼ばれる時代の中で・・・
私たちの会社が「新築分譲マンションで自然素材を用いる」という取り組みをやり抜いてきた原動力の一つに、「住宅産業は人間産業」という企業目的があります。
ここでなぜこのような企業目的になったのかを紹介するため、リブラン創業からの時代背景を重ねてみます。
1968年、創業者である鈴木靜雄は、前身となる千葉建設をたちあげます。当時は仲介を中心とした不動産業ですが、前に書いたようにいざなぎ景気の真っただ中。1972年の新築の住宅着工件数が186万戸を記録します。
一方で作家 有吉佐和子が高齢者介護の難しさを取り上げた『恍惚の人』(1972年)や農薬と化学肥料使用が農製品と生態系に与える悪影響などを取り上げた『複合汚染』(1975年)がベストセラーになり、当時の社会的問題が浮き彫りになりました。1970年代にはオイルショックなどもありましたが、一億総中流と呼ばれる時代を迎えていました。
「住宅の大量供給」がもたらした弊害
しかし、ゆっくりと家族像や人間関係がゆがんでいったのです。1977年には郊外に住む核家族・中流家庭の崩壊を描いたTV番組「岸辺のアルバム」が、1982年には子どもの非行と家族の崩壊を描いた「積み木くずし」がそれぞれヒットしています。その間の1980年には金属バットで両親を殺害するといった痛ましい事件がおこっています。
住宅の大量供給は、地方出身者の受け皿となり、また世帯分離を促したことで嫁姑問題の解決に一役買ったとも言われておりますが、その代償として一方で、人間関係が希薄となり、一見幸せそうに見える家族像を内側から崩壊してゆく器ともなっていったのかもしれません。
そうした時代背景を受け、リブランは「住宅産業は人間産業である」という理念にたどり着いていきます。
『環境破壊、教育の荒廃、家庭や地域のコミュニティの崩壊などがもたらした深刻な社会問題は、我々住宅産業界に責任の一旦があると自覚しなければなりません。これらはこころの荒廃がもたらしたものであり、私たちは住まいとこころ、そして自然との関わりを理解し、その責任を果たしていかねばなりません。そして、しあわせを育むこころを未来へ承継していかねばなりません。』という、今の企業目的につながる志向はこのころに培われました。