子供を信頼し、遺言なども一切残さなかったが…
事例② 3人の子供がいる創業者のケース
Oさん/飲食店5店舗会社経営する創業者で、賃貸不動産5か所と自宅70坪を所有。妻Sがいる 長男P/大手都銀支店長 長女Q/Oさんの介護を行い、会社の経理や人事の仕事を手伝い支えてきた 次男R/父の会社を継ぎ経営している
Oさんの自慢の子供たち兄弟3人は子供の頃からとても仲が良く、もし相続になった場合でも「絶対にもめない」、とOさんは自慢げに語っていました。
Oさんの会社は次男Rに跡を継がせることとし、所有している自宅は妻Sに、所有している賃貸不動産を長男Pと長女Qで分ければ問題ない、とOさんは自信を持って考えていました。なので、遺言も相続評価も必要ないと判断して一切なんの準備もしていなかったのが悲劇の始まりでした。
Oさんは、東北地方出身で高校を卒業したのち、東京に憧れて上京しました。いくつかの会社に就職しては辞めをくりかえし、自分に向いてる職を探し転々としていました。
高齢の夫婦が営む蕎麦屋さんでアルバイトをしている時、その蕎麦屋主人が倒れ厨房に立てなくなるという事態が発生しました。
しかたなく、Oさんが厨房に入り蕎麦を出すようになりました。案の定、常連客が1人減り、2人減り・・・。3か月もするとお昼の時間に誰もお客が食べに来なくなりました。半年過ぎた時は、なんとお客は全く来ない状況になってしまい、泣く泣く蕎麦屋を止めようと思いました。
でも、可愛がってくれたご主人にも申し訳ないと思い、なんとかならないかと、得意なことからやってみることにしました。
「蕎麦屋の主人のそばのつゆの味はだせないが、てんぷらを揚げるのは自信がある」、Oさんは「天丼」だけのメニューにして、お昼に希望先に配達する出前だけ行うようにしてみました。
すると注文がどんどん増えだし、半年後には、以前の蕎麦屋以上の活況となったのです。そしてその後10年で5店舗のお店を出店。売り上げもどんどん伸びていきました。
利益の出たお金で土地建物を購入して事業を拡大。お店も居酒屋やレストランなど不動産を担保に資金を借り入れ幅広く広げていき、80歳代になるまで順風満帆でした。
次男の相続分に納得がいかない長男と長女
ところがそんな元気なOさんも最後は2年間の在宅介護の末82歳で亡くなりました。子供たちも当然高齢になりました。生前にOさんが言っていたように分けた場合、相続評価では以下のような結果が出ました。
●相続評価額 12億円
●妻S 自宅1億2000万円+現金・保険3000万円
●長男P 賃貸アパート 2億5000万円(会社担保物件 借入1.1億円)
●長女Q 賃貸駐車場・マンション 3億円(会社担保物件 借入2億円)
●次男R 会社6億円
法定相続分から計算すると、長男P・長女Q、次男Rはそれぞれ2億円ずつでしたが、次男Rの相続分が6億円は納得いかない、と長男Pと長女Qが異議申立てをしたのです。
長女Qは、「私は会社の経理を行い長年手伝ってきました。そして会社で人のトラブルが起きると解決をするため、日夜苦労してきました。父(Oさん)の介護を行ってきたのは私なのに、納得いかない」と主張します。
長男Pは、「どんなに生活が苦しくとも、長男の私はQとRに迷惑をかけてはならないと思い、父の援助を受けずに自力で一人でがんばってきた。今の大手銀行を退所後は、父の事業を手伝おうと思っていた」と主張。
それぞれの配偶者からの意見も出て、3人が争うようになってしまいました。結局、3人それぞれが弁護士を入れて、泥沼の争いが今もまだ続いています。
次回は、この事例から学ぶことを説明します。