元号によって変わる老舗のイメージ
~昭和世代が想像する老舗=「大正創業」だが、老舗=100年企業と考えると…?
スペイン風邪が日本に上陸して猛威を振るったのは、Covid-19の襲来で世界が一変した2020年を100年程前に遡る、1918年のことである。今次のパンデミックで世界全体で約7億人が感染し約700万人が亡くなったのに対して、100年前のパンデミックでは死者だけで4000万人を超えていた。当時世界の人口が18億人程度であったというから、人口比で考えると被害状況は想像を絶するほど酷かったに違いない。
当時の人々は、われわれ以上に不便な生活を強いられていたことはいうまでもないだろう。テレビもインターネットもなく、庶民にほとんど情報が入ってこない中で、何を知って何を知らずに日常を送っていたのであろうか。当時の記録は限られているため微細な状況は推測するしかないが、外出の際にマスクを着用していたことは今回と同様である。
そうした無惨なパンデミックが落ち着く間もなく、1923年に関東地方を大震災が襲った(*1)。64年間続く昭和がスタートしたのは、その復興最中の1926年のことである。感染症、地震、経済恐慌、そして戦争という四重苦への幕開けであった。しかしながら、1945年8月のポツダム宣言受諾に至る前半の20年こそ戦渦に塗れていたものの、それ以降の昭和は、経済的にも豊かで社会的にも安定した時代であった。
戦後の混乱期には、ホンダやソニーといった新興企業が数多く立ち上げられ、1960年代の高度経済成長期を経て世界市場を闊歩する国際派企業が数多く輩出された(*2)。1980年代になると、それらの企業に支えられて、日本経済は世界経済のリーダーの一角を為すまでになった。荒廃からの奇跡の復興劇を体現した舞台が昭和であった。
新興企業が次々と表舞台に登場する一方で、日本文化や伝統を守りそれを後世に伝える「老舗」と呼ばれる長期存続企業もまた不遇の時を乗り越えて生き残ってきた。昭和末期から平成初期の間に100年の歴史を誇っていた老舗が創業したのは明治時代で、平成後期に100周年を迎えた老舗の創業は大正時代ということになる。昭和の新人類がイメージする老舗は、このように大正時代以前に創業された100年企業である。そして令和の時代になると、1925年、すなわち昭和元年に創業された企業が100年企業ということになる。なるほど、元号によって老舗のイメージも大きく変わるのである。
「継承」から見る老舗企業
~「家の承継」はもはや老舗の“武器”ではない
これまでイメージされていた老舗の多くは、創業家の長子によって承継されてきた組織であり、承継する事業も創業時代からほとんど変わっていない組織であった。仮に長子相続でなかったとしても血縁や血族とみなされている人物によって継承され、完全に同じ製品やサービスでなかったとしても事業形態の多くは、おおよそ従前と類することが前提とされてきた。
ところが、ここ50年、すなわち1970年以降、工業社会としての社会的基盤が整備され技術が飛躍的に進歩したことで、産業構造が大きく変化してきた(*3)。戦後間もなく誕生した企業や小規模だった企業が大企業に成長し、わが国の産業社会で中心的な役割を果たすようになった。その典型ともいうべきは、自動車やエレクトロニクスの産業群に分類される企業である。
戦後間もなく創業したスタートアップ企業の何社かは、2020年には創業70年を超える大手メーカーに成長している。そうした大企業のトップマネジメントが創業家一族出身といった事例はそれほど多くはないだろう。まして、発行済株式の大部分を個人や一族で保有している大企業はほとんど存在していないはずである。たとえば、創業家支配の資本金5億円中堅企業で長子が単独で相続する事例を想定したとき、支払い相続税はおよそ2億800万円となる(*4)。それを長子が個人で支払うと仮定すると、10年の延納を選択したとしても、金利を含めて年間約2828万円の相続税支払いが必要となる(*5)。要するに、わが国の現行税制の下での「家の継承」は、それほど容易なことではない。
1937年に設立されたトヨタは、もうじき100年の歴史を誇る老舗企業になる。2023年まで創業家出身の豊田章男氏以前3代の社長は創業家以外の内部昇格者であったし、会長職に退いた豊田章男氏の後を継いだ佐藤恒治現社長も創業家以外の出身である。日本の自動車産業の雄のひとつであるホンダは、創業者本田宗一郎氏の意向で創業時から親族が経営トップに就いたことはなく、経営における本田家の影響力はほとんどないともいわれている。
他方、エレクトロニクス産業に目を向けると、松下幸之助翁によって1918年に松下電気器具製作所として創業されたパナソニックは、すでに100年を超える老舗企業であるが、創業家出身の経営トップは近年登場していない。それどころか、創業家出身ではなく内部昇格によるトップであった大坪文雄社長時代の2008年、「松下電器産業」から「パナソニック」への社名変更が断行されて創業家の名が消滅している。
また、1946年盛田昭夫氏と井深大氏によって創業されてグローバル企業へと成長を遂げてきたソニーも、創業70年を超える老舗と呼ばれる資格を備えている。同社初の新卒サラリーマン社長の出井伸之氏が登場して25年を経た2021年4月、ソニーは本社機能を持株会社のソニーグループ株式会社に集約して、祖業であるエレクトロニクス事業を担うソニー株式会社はグループの一子会社になる抜本的な再編を行った。
このように、近年、老舗の三種の神器である「家の継承」は影を薄くしつつある。
~「事業の承継」から「ブランドの承継」へ
老舗のもう一つのキーコンセプトは、「事業の継承」である。
自動車業界とエレクトロニクス業界の4社の老舗企業の事情について考えてみよう。自動織機事業から分離独立したトヨタの主力事業は自動車の製造販売であり、自動車産業の世界一のメーカーにもなっている(*6)。それに対して、バイクメーカーからスタートしたホンダは、自動車市場参入の国内最後発メーカーである。現在同社は創業者本田宗一郎氏の夢であった小型ジェット機の生産開発にも取り組むなど「モビリティ」全般を事業ドメインと位置づけている。もっともそれらすべての事業は創業者の構想の中に組み込まれていたというから、その意味では「事業が継承されてきた」といえるかもしれない。同様に、パナソニックとソニーという2社のエレクトロニクスメーカーは、技術進歩の中で多様な製品を製造販売し、あるいは時にはそれにかかわるサービス事業を展開してきたという点でいえば、概ね事業が継承されてきたといっても良いかもしれない。
しかし、年月を経る間に主力事業の市場が大幅に縮小してしまうこともあるし、技術進歩によって巨大市場であってもそれが完全に消滅することもある。1990年代後半まで拡大していた写真フィルム市場がデジタルカメラによって瞬く間に駆逐されると、世界最大の写真フィルムメーカーの米国コダック社が市場から退出した。わが国でも、サクラカラーで名を馳せていたかつての小西六写真工業、後のコニカが写真フィルム市場から撤退している(*7)。
対照的に、世界の写真フィルム市場でこれらの企業と激しいバトルを繰り広げてきた富士写真フイルム(現在の富士フイルム・グループHD)は、現在でもグローバルな大企業として成長を続けている。そこに至る過程で、同社が事業ドメインを大きく変えたことはつとに有名である。現在同社は広範な分野の研究開発力を誇る化学メーカーであり、電子機器メーカーである。1934年に大日本セルロイド(株)の写真フィルム事業の一部を切り出して設立され創業86年の歴史を誇る富士フイルムHDも大手老舗企業ということができる。
こうして見てくると「事業の継承」も「家の継承」と同様、かつてはほぼ同じ製品を同じ流通経路で市場に展開しているか、同じ事業が引き継がれているかに関係なく、長期にブランドを継承している企業は、概ね「老舗企業」と呼ぶことができるはずである。
「老舗と呼ばれるに相応しい企業年齢」はない
~新時代の老舗企業とは、自らを「老舗」と呼ぶ矜持を持つ企業
「老舗と呼ばれるに相応しい企業年齢」についての私見を述べるとすれば、「老舗か否かは年齢つまり企業が存続している長さによってのみ決定されるものではなく、何歳から老舗であるということに殊更こだわる必要はない」ということである。それには3つの理由が考えられる。
第一の理由は、「〇〇年前」のような時間軸が相対的な概念に過ぎないということである。30年前にわれわれが調査を行った時の「100年前」は明治時代であったし、「50年前」は昭和初期、「30年前」は高度経済成長期であった。こうした時間軸でいうと、確かに30年前には、老舗の年齢を「100年」で測ることに相応の妥当性や納得感があったかもしれない。一方で、「十年一昔」や「ドッグイヤー」ということがいわれた時代であり、半分の「50年」という年数で老舗を仕切ることにもそれなりに納得感があった。
ところが時代が令和を迎えると、2020年の50年前は1970年であって、昭和人の感覚からすると、老舗の仕切りとしては今ひとつ納得感がない。昨今の50歳は、30年前と比べると外見的にもかなり若作りで、自分が「老舗」であるといわれても抵抗がある。とはいえ、50年前というと平成を一挙に越えて昭和の時代まで遡るわけで、「高度経済成長期→オイルショック→安定成長期→バブル経済→バブル崩壊→平成不況」を越えて令和まで辿り着いたことを考えれば「老舗」と呼ぶことに妥当性はある。このように、「〇〇年前」という基準は、個人の年齢や時代背景によって規定される相対的概念に過ぎないのである。
二つ目の理由は、老舗であるか否かの基準は、業種や業態、その裏付けとなる技術によって大きく左右されることである。世界最古の企業である金剛組は寺社建築業であり、寺社建築という業種と技術は1500年前も現代と変わらず必要とされていた。だからこそ、1500年の歴史を誇る金剛組を、創業50年の他業種寺社建築企業と比較することは可能である。それに対して、コダック社は、長い歴史を乗り越え一時は世界市場を制覇した写真フィルムの老舗企業であったが、写真フィルム市場自体が壊滅したことで老舗の地位を失ってしまった。
その一方で、第2次世界大戦前後まで数百年続いた工業化社会から、情報化社会、ネット社会へと変化したきたこの50年間に、さまざまなビジネスモデルによって事業展開する企業が誕生してきた。広義に捉えたときには同じ業種業態に分類されたとしても、既存の価値と異なるまったく新しい価値を創ることによって勢力を急速に拡大する企業が経済の主役に躍り出たのである。
たとえば、1975年に創業されたソフトウエア開発のマイクロソフト社やデジタルデバイス製造のアップル社を、ICT産業の「老舗企業」に括ることに抵抗を示す人は、ほとんどいないはずである。この2社は、人間ならまだ働き盛りである。ソフトウエア開発を手がけていたIT企業はそれ以前から数多く存在していたにもかかわらず、マイクロソフトとアップルが「ICT企業の老舗」と見做されるのは、この2社がもたらしたイノベーションがその後のIT産業の方向性を決定づけたからである。つまり、老舗の年齢は事業特性や技術特性とも関わる相対的な概念なのである。
存続年数だけで老舗を決定できない第三の理由は、企業の長寿を可能にするさまざまな方法が出現したことに伴い、さまざまなタイプの老舗が登場してきたことにある。このような状況では、「伝統的老舗」、すなわち創業者一族が所有を継承し創業当時の事業を継続している企業だけを老舗として特別扱いしても意味がない。時代に合わせて事業ドメインを変化させつつ100年を越えて存続してきた大企業を「老舗企業ではない」と断じることはできない。
買収によって存続した企業を「老舗ではない」と決めつければ、血縁の連続性にこそ第一義的価値やブランド価値の源があるということになってしまう。それでは長期存続企業の経営に意味や価値を見いだすことができなくなるだろう。
当然のことながら、長期存続企業の経営の方法論には、学問的にも実務的にも大きな価値がある。
また、現代の経営環境の中にあって、持続的競争優位性を構築するサステナビリティ・マネジメントの必要性が認められている。「老舗」すなわち長期にわたるサステナビリティ・マネジメントを成功させてきた長期存続企業の経営特性や戦略的エッセンスを探究することは、予測困難な今の時代を乗り越えていくために必要不可欠である。
新時代の老舗企業は、自らを「老舗」と呼ぶ矜持を持つ企業であるといえよう(*8)。
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【注】
*1) 1923年9月1日の関東大震災である。190万人が被災し、10万5000人が死亡あるいは行方不明となった。
*2) 1960年代にはセコムやウシオ電機、70年代にはキーエンスやDHC、日本電産、80年代にはHIS、ファンケル、ソフトバンクやユニクロといったベンチャービジネスが設立されている。
*3) 岩﨑尚人、『コーポレートデザイン再設計のエッセンス』、成城経済研究第232号、pp.61-99、2021年に詳しいので参照。
*4) 計算式は、「5億×50%−4200万=2億800万」である。税理士の友人に計算を依頼した結果である。
*5) 計算式は「2億8000万÷10年+2億8000万×3.6%=2828万8000」である。
*6) トヨタは、2007年に販売台数で世界トップであった米GM社を抜き、自動車生産台数で世界一の座をついた。
*7) 小西六は、ミノルタに吸収されて、現在コニカミノルタとなっている。
*8) 今後、老舗の矜持とは何かの研究課題となるかもしれない。
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岩﨑 尚人
成城大学経済学部教授、経営学者
1956年、北海道札幌市生まれ。早稲田大学大学院商学研究科博士課程後期単位取得満期退学。東北大学大学院経済学研究科修了、経営学博士。経営学の研究に加え、企業のコンサルティング活動に従事。主な著書に、『老舗の教え』『よくわかる経営のしくみ』(ともに共著、日本能率協会マネジメントセンター)、『コーポレートデザインの再設計』(単著、白桃書房)などがある。
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