国民の過半数が「生活が苦しい」…窮状打破のため、日本政府が改めようとしている「企業と勤労者の関係」【経営学者が解説】

国民の過半数が「生活が苦しい」…窮状打破のため、日本政府が改めようとしている「企業と勤労者の関係」【経営学者が解説】
(※写真はイメージです/PIXTA)

年功序列から成果主義へ、終身雇用から長期雇用へ。景気後退期の長期化とそれに伴う日本企業の失速によって、日本企業の人事制度は少なからず形を変えてきました。そうした制度改革の集大成として示されたものが、2018年の「働き方改革」です。経営学者・岩﨑尚人氏は、働き方改革について「新しいタイプの『日本的経営』を提起しようとする試みとも理解することもできる」と言います。岩﨑氏の著書『日本企業は老いたのか』(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋し、見ていきましょう。

平成を通じて行われてきた人事制度改革の「集大成」

景気後退期の長期化とそれに伴う日本企業の失速によって、日本企業の人事制度は少なからず形を変えてきた。そうした制度改革の集大成として安倍政権が示した政策が、2018年の「働き方改革」である。

 

ここでは令和時代の労働環境を巡る改革の道標として、日本政府が示した「働き方改革」について触れておくことにしよう。

平成元年から令和元年にかけての「激変」

~「鍵っ子」はもはや死語。平成から令和にかけて、共働きが「当然」の時代へ

平成がスタートしたとき男性75.92歳、女性81.90歳だった平均寿命が延伸し、男性81.4歳、女性87.45歳と5〜6歳も長生きになった。その結果、高齢者人口が倍増し、総人口に占める高齢者の割合は平成初期の12.1%から令和の初めには28.4%になった。20年後の2040年には、男性の4割が90歳、女性の2割が100歳まで生存すると見込まれており、盛んに「人生100年時代」が叫ばれている。長寿は喜ぶべきことであるが、他方で出生率の低下(1.57から1.34人)に伴う少子化で人口減少期も目前である(*1)。そうなると労働人口が減少することは確実であり、現状で頼りにするのは新規の女性就労者だけである(*2)

 

平成時代の初頭こそ「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」といった昭和の常識が通用していたが、その象徴ともいうべき「鍵っ子」という言葉も今や死語である。女性のライフコースに対する意識も大きく変化したこともあって、男女を問わずワークライフバランスを重視するようになった。

 

平成の30年間は、昭和後半期の30年間より遙かに変化が激しかった。それにもかかわらず、一世帯あたりの平均所得にはほとんど変化がみられない。「生活が苦しい」と訴える国民が過半数を超えるようになり、「一億総中流」だった豊かな日本の姿は見る影もない。待遇格差の大きな非正規社員の割合は19.1%から38.3%に増え、共働きをしなければ生活が立ちいかない状況になった。子供に十分な教育を受けさせようとすると一人っ子となり、さらにその子供に迷惑を掛けずに「人生100年時代」を支える資金を獲得することは容易ではない。

 

「働き方改革」は、こうした厳しい状況から抜けだすための施策として打ち出された国策の一つである。もっとも、「働き方改革もまた、ポスト真実があちこちに顔をのぞかせている」との批判がないわけではない(*3)。「ポスト真実」の時代とは、事実が軽視され、嘘がまかり通ってしまいがちな時代のことである。

働き方改革実行計画

~計画の多くは、平成に表出してきた「人事を巡る課題」の解消

2015年、わが国最長期間の政権運営を担った安倍晋三内閣が、「GDP6500兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」の三大目標実現を掲げて、「一億総活躍会議」を設置した。自ら議長に就任すると関係閣僚や有識者によって構成された会議で策定した原案を基に、「ニッポン一億総活躍プラン」を翌年に閣議決定した。強い経済実現への取り組みで生み出された成長の果実で、子育て支援、社会保障の基盤強化を実現しようというプランである。政府によれば、プラン実現のために不可欠なのが「働き方改革」であり、「多様な働き方が可能になるように、社会の発想や制度を大きく転換しなければならない」ということである。

 

当初、働き方改革の具体的政策として、「同一労働同一賃金の実現など非正規雇用の待遇改善」、「長時間労働の是正」、「高齢者の就労促進」が示された。翌年3月には「働き方改革実行計画」が決定され、業種・業態、規模などに応じて段階的に改革を進めて行くことを定めた「働き方改革を推進するための関連法律の整備に関する法律(働き方改革関連法)」が交付され、改革は順次進められていった。計画の多くは平成に表出してきた人事を巡る課題の解消である。さらにいえば、この改革は企業と勤労者の関係を見直すことによって、新しいタイプの「日本的経営」を提起しようとする試みとも理解することもできる。

働き方改革が目指す姿

~「経営者と従業員の関係」は、互いに自由で自立的なものへ

働き方改革の具体的施策は、(1)長時間労働の是正、(2)柔軟な働き方の拡充、(3)年次休暇と労働者の健康確保、(4)同一労働同一賃金の実現の4点である。

 

施策の第一は、長時間労働の是正である。2017年時点の日本の年間総実労働時間は1706時間で、2000時間を超えていた平成初期と比較すると300時間以上減少した。とはいえ、欧州の先進国と比較すると長時間労働であることに変わりなく、とりわけドイツと比べると300時間以上も長時間であった。しかも、当時日本では「サービス残業」を強要するブラック企業が出没していることが頻繁に報道されていた。また、総労働時間の計算に短時間労働のアルバイトなどの非正規労働者が含まれていて、正規労働者の実労働時間は減少していないということも指摘されている(*4)。つまり、日本の労働者の状況は、平成初期とほとんど変わっていなかったということになる。一方で、勤勉が売り物であった日本の労働者の労働時間が米国よりも短時間であることには少なからず驚きを与えたものの、所得格差を考えれば妥当である。

 

改革の具体策の第二は、「柔軟な働き方」に向けられた施策である。前述したように、平成の30年間、わが国企業でもさまざまな働き方が導入されてきた。しかしながら、それらの制度は適用範囲が限定的な上に制度設計も不十分で、労働者にとって不利益な制度も少なくなかった。働き方改革の実施によって曖昧な部分の是正を目指しただけでなく、副業や兼業、フリーランスの拡充が図られた。また、労働者の健康確保やワークライフバランスにも目が向けられて、有給休暇や年次休暇の取得の義務化などが強化された。

 

さらに、働き方改革の目玉ともいうべき施策が、同一労働同一賃金の導入である。終身雇用と年功序列を前提とした従前の雇用制度の下では、正規従業員と非正規従業員が同一労働であることはあり得なかった。非正規労働者が管理職に就くことはなかったし、非正規社員と正規社員との間には、賃金に関しても労働条件に関しても明確に線引きがなされていた。それに対して、働き方改革が目指すジョブ型雇用制度の下では、契約で定める職務によって賃金が決定され、同じ職務で賃金が違うことはあり得ない。要するに、同一労働同一賃金を強調する働き方改革が目指すところは、日本的経営の人事システムとは対極に位置するものであるといえるのである。

 

是非は兎に角、私企業の経営制度に対して国が重い腰を上げて手を加えようとしたことには意味がある。ただし、現在政府が目指している「経営者と従業員の関係」は、互いに自由で、自立的、そして契約に基づく関係であるという点で、この改革が目指しているのは極めてドライな社会であるという点については、今後、議論が必要となるかもしれない。

 

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【注】

*1) 1989年の出生率と2021年の出生率である。出所は厚生労働省、人口動態統計。

 

*2) もっとも、令和の今になっても、日本の男女格差は大きな問題として国際的にも取り沙汰されている。

 

*3) 久原稔『働き方改革の嘘』集英社新書、2018、p.13

 

*4) 日本の平均時間が短くなっている大きな理由として、全労働者の平均労働時間に、パートタイム労働者が含まれていることが指摘されている。一般労働者に限ると、年間200時間以上長くなる。森岡孝二、『雇用身分社会の出現と労働時間』、p.119に詳しいので参照。

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岩﨑 尚人

成城大学経済学部教授、経営学者

 

1956年、北海道札幌市生まれ。早稲田大学大学院商学研究科博士課程後期単位取得満期退学。東北大学大学院経済学研究科修了、経営学博士。経営学の研究に加え、企業のコンサルティング活動に従事。主な著書に、『老舗の教え』『よくわかる経営のしくみ』(ともに共著、日本能率協会マネジメントセンター)、『コーポレートデザインの再設計』(単著、白桃書房)などがある。

 

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※本連載は、岩﨑尚人氏の著書『日本企業は老いたのか』(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋・再編集したものです。

日本企業は老いたのか 失われた30年を振り返り、未来を展望する

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岩﨑 尚人

日本能率協会マネジメントセンター

リーマンショック、東日本大震災などを乗り越えた先にやってきた新型コロナウイルスの大流行。この現実と直面した企業や否応なく変革を進め、働き方は大きく変わった。真に強い企業とは、変わらないために思い切った変化を遂げ…

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