(※画像はイメージです/PIXTA)

本記事は、西村あさひが発行する『N&Aニューズレター(2024/3/22号)』を転載したものです。※本ニューズレターは法的助言を目的とするものではなく、個別の案件については当該案件の個別の状況に応じ、日本法または現地法弁護士の適切な助言を求めて頂く必要があります。また、本稿に記載の見解は執筆担当者の個人的見解であり、西村あさひまたは当事務所のクライアントの見解ではありません。

誹謗中傷や個人攻撃に対する対策は、本当に難しいと思います。私は弁護士として誹謗中傷への対応を企業や個人にアドバイスしてきました。また、私自身も特定の人物から執拗な誹謗中傷や個人攻撃を受けています。

 

社会では、そうした誹謗中傷や個人攻撃に晒された方が自死に追い込まれるなど、大変不幸な結果が現に起きています。それにもかかわらず、誹謗中傷は止みません。

1. 誹謗中傷者による注意や抗議に対する誹謗中傷・個人攻撃のエスカレート

こうした誹謗中傷や個人攻撃への対応で最も難しいのは、誹謗中傷や個人攻撃を行っている本人(以下一括して「誹謗中傷者」といいます。)に注意や抗議をすると、かえって誹謗中傷や個人攻撃がエスカレートする点です。

 

誹謗中傷者に対して「それは誹謗中傷や個人攻撃であって違法だから、直ちに誹謗中傷を止めるべきだ。ネット・SNSや雑誌等の誹謗中傷記事を取り下げるように求める」などと注意や抗議をすると、誹謗中傷者の中には、かえって逆上したり意固地になって仕返しをしようと、誹謗中傷や個人攻撃をエスカレートさせて、ネット・SNSや雑誌等で、被害者に対して何回も重ねて誹謗中傷を繰り返したり、誹謗中傷を更に増幅させる、といった事態が往々にして起こります。

 

さりとて放置しても誹謗中傷が止まる保証もなく、今後の更なる誹謗中傷の継続や増幅もあり得ることから、実際の事案では、誹謗中傷者に対して抗議や法的手段をとることが得策かどうか、企業も個人も非常に悩ましい判断を強いられることになります。

 

例えば、誹謗中傷者に抗議してもかえって逆上や仕返しを招くだけだから、ある程度の誹謗中傷であれば、泣き寝入りになるかもしれませんが、黙殺して、誹謗中傷者の関心が別の出来事に移るのを待つ方がよいかどうか、それとも、誹謗中傷者による逆上や仕返しが相当程度あるだろうことを覚悟しつつ、抗議や法的手段を行っていくべきかどうかなど、被害者は非常に悩ましい立場に立たされます。

2. 厳正な刑事処罰やメディアのリテラシーの必要性

誹謗中傷対策における検討課題として、司法当局が、表現の自由や意見論評の自由などを尊重する観点から、誹謗中傷に対する刑事罰の適用に慎重になっている点があります。

 

表現の自由や意見論評の自由を尊重するのは当然ですが、そもそも、意見等があるならば、それを正々堂々と開陳すればよく、侮辱的表現や個人攻撃にわたる表現などを使う必要は何もありません。

 

このことは、最高裁の各判例が「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くものというべきである」旨の判断を示しており、「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱した」ものは違法性を欠くとはされない(論理的にラフな言い換えですが、要するに「違法である」)と説示しているとおりです。

 

この点、政府広報オンラインも「(1)誹謗中傷と批判意見は違う 相手の人格を否定または攻撃する言い回しは、批判ではなく誹謗中傷です。」と述べています※1

 

1 https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202011/2.html

 

侮辱的表現や個人攻撃にわたる表現は、「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱した」(最高裁判例)ものであり、「相手の人格を否定または攻撃する言い回し」(政府広報オンライン)です。

 

侮辱的表現や個人攻撃にわたる表現は、言論の内容に対する評価とは切り離して、その外形だけで該非(該当するか否か)を判断することが比較的容易です。たとえ真に意見や論評であっても、こうした表現を使うことは許されないわけで、言論としての初歩的マナーに反するから保護に値する価値はなく、社会的な倫理も欠いています。さらに、こうした表現を使わずに意見や論評を展開することに、何の支障もありません。

 

だから、司法当局は、侮辱的表現や個人攻撃という外形に着目して、言論の内容に立ち入ることなく、名誉毀損罪や侮辱罪等で摘発・訴追し、刑事責任の認定を行うことが可能です。言論の中身に立ち入ることは必要ありませんから、特別な事情がない限り、刑事罰の適用によって、表現の自由や意見論評の自由が不当に侵害される恐れは乏しいと考えられます※2

 

※2 なお、個人攻撃や侮辱表現それ自体の文学的価値や芸術的価値が問題になる場合などには、人の名誉信用や名誉感情といった法益保護の必要性との間での利益考量や言論への萎縮効果の有無・程度を検討する必要が生じ、謙抑的に刑事罰による介入を差し控える方がよい場合が少なくないだろうと思います。

 

いかに誹謗中傷対策として侮辱罪の法定刑の引上げ等がなされたとはいえ、司法当局が法を厳正に適用しなければ、刑罰の制裁による一般予防効果も発揮できません。

 

また、新聞雑誌やネット媒体なども、問題とされている記事が裁判等で違法といった判断が出ない限り、被害者が誹謗中傷記事の撤回や配信停止を求めても、応じることはまずありません。繰り返しになりますが、意見や見解は、正々堂々と述べればよいのであって、侮辱的表現や個人攻撃などをわざわざ使う必要もありません。侮辱的表現や個人攻撃は、そうした意見や見解と称するものの中身がないことの現れです。新聞雑誌やネット媒体が、リテラシーを発揮して誹謗中傷や個人攻撃にわたる表現を遮断していくことが、メディアとしての役割であると思います。また、そうなれば、誹謗中傷や個人攻撃は、刑罰などの国家権力の介入なくして、排除されていくことになります。

3. 誹謗中傷者を相手にしない

少し前のところで述べたとおり、誹謗中傷者に抗議やクレームをしても、かえって逆上したり意固地になって仕返しをしようと、誹謗中傷や個人攻撃をエスカレートさせて、ネット・SNSや雑誌等で、被害者に対してしつこく何回も誹謗中傷を繰り返したり、誹謗中傷を増幅させる、といった事態が往々にして起こる、これが現実です。

 

そのため、誹謗中傷や個人攻撃への基本的な対応策は、黙殺、つまり誹謗中傷者を相手にしない、ということになります。

 

誹謗中傷者の中には、あえて挑発的な誹謗中傷や個人攻撃を行って、被害者の反論を誘い出そうとするケースなどもあります。

 

誹謗中傷者の動機としては、要するに「被害者に相手にしてもらいたい」という場合もあれば、YouTube等での視聴回数稼ぎなどもあります。

 

また、誹謗中傷者に抗議などをすると、「反論があるならYouTubeで対談しよう」と言ってきたり、雑誌等が「反論を掲載する」などと言ってくる場合もあります。

 

いずれにせよ、誹謗中傷者による、こうした誘いに乗る必要も価値もありません。

 

万が一にも、こうした誘いに乗れば、誹謗中傷や個人攻撃を行って被害者を挑発することで、誹謗中傷者としては思ったとおりになる、場合によっては金を儲けることもできる、ということになりかねず、誹謗中傷や個人攻撃を助長することになってしまうからです。

 

以上のとおり、誹謗中傷者については、まともに取り合うことなく、相手にしない、というのが原則的な対応です。

4. 誹謗中傷者に対する抗議や法的手段の選択をせざるを得ない場合

ただ、誹謗中傷者が、それでもなお、様々な媒体等で誹謗中傷を繰り返している場合などは、「誹謗中傷者を相手にしない」というままでは、本当に泣き寝入りにしかなりません。

 

あるいは、その誹謗中傷者が昔から当該被害者に対する誹謗中傷を行っており、何か誹謗中傷できるネタがあれば、すぐにでも誹謗中傷を行うという人物の場合、放置は根本的解決になりません。

 

また、その誹謗中傷により、いわゆるデジタル・タトゥーが生じる場合など、これを防止または是正するために、法的手段をとらざるを得ない場合もあります。

 

そこで、そうした悪質な誹謗中傷者の場合には、被害者としては、やむなく、抗議を行ったり、法的手段をとることになります。

 

もちろん、誹謗中傷者の中にも、純粋に自分の意見があって、ただ、その意見を表現するにあたり、表現が感情的になったり、行き過ぎてしまった、というケースもあります。そうしたケース(悪質でないケース)の場合には、抗議を行えば、それを契機に、誹謗中傷者は誹謗中傷をピタリとしなくなります。そうした人は、もともと、他人を侮辱したり個人攻撃するようなつもりなどありません。別にそのような侮辱的表現や個人攻撃的な表現など使わなくても、意見に内容や根拠があるのならば、その意見を冷静かつ論理的に展開することに、何の支障もありませんから、誹謗中傷者が自分で気付けば誹謗中傷を止めます。

 

ただ、残念ながら、多くのケースはそうではなく、被害者が誹謗中傷者に抗議を行ったり法的手段をとることで、誹謗中傷者が逆上したり意固地になって誹謗中傷をエスカレートさせる結果になります。

 

というのも、誹謗中傷者が誹謗中傷を行う動機も様々であり、特に被害者に対する妬みや嫉妬などが原因の誹謗中傷も多く、その場合には、誹謗中傷のエスカレートという結果になります。下手をすると、意固地になった誹謗中傷者が、次で述べるような情報操作手法を駆使しつつ、その被害者に対する誹謗中傷や個人攻撃を人生の生きがいにしていく、などということになります。

 

ここが誹謗中傷対策の最も難しいところです。

5. 意見論評を装った情報操作のテクニック

誹謗中傷や個人攻撃は、意見論評を装った情報操作を行おうとします。以下では、こうした情報操作のテクニックを紹介します。

 

(1)論点ずらし

誹謗中傷などの事案では、往々にして攻撃者(誹謗中傷者を含みますが、それに限りません。以下同じ。)が「論点ずらし」を行います。

 

例えば、ある出来事Aがあって、攻撃者が、その出来事Aに絡めて、被害者である人物Vに対し、Bというネガティブな評価をして、「被害者VはBである」といった侮辱等を行ったと仮定します。いかに誹謗中傷であっても、何もなく、突然、被害者の罵倒や侮辱を始めたりはしないので、普通は、トリガーになる出来事Aがあります。それに対して、誹謗中傷者は、妬みや嫉妬などから、誹謗中傷を始めるわけです。

 

誹謗中傷者その他の攻撃者は、これに対して、誹謗中傷や個人攻撃であるとの抗議や法的措置などを受けると、逆上したり仕返しとして誹謗中傷をエスカレートさせますが、その際、誹謗中傷であるとの抗議に対して正面からは反論しにくい「被害者VはBである」という個人攻撃を単純に繰り返すことはあまり行いません。往々にして見られる誹謗中傷者の手口は、その後、何度もブログやSNS・ネット上の記事を出して、例えば「出来事Aに対して被害者が行った言動が間違っている」といったような言い方を前面に出して、それを繰り返す攻撃方法に変更します。

 

そうすることによって、誹謗中傷者その他の攻撃者は、自分の言説は出来事Aに対する被害者の言動に対する論評であって、「被害者VがBである」という個人攻撃や人身攻撃ではない、と弁解しようとします。

 

名誉毀損や侮辱の刑事事件や民事事件では、しばしば、こうした「論点ずらし」が見られます。これは、悪質な誹謗中傷の典型的なテクニックの一つです。

 

司法当局としては、こうした「論点ずらし」に誤魔化されることなく※3、起訴価値のある誹謗中傷者であれば厳正に対処していく必要があります。

 

3 足立幸男「議論の発展のために(その2)-無論理的虚偽について」帝塚山大学論集34巻114頁は、論点ずらし(同文献においては「論点の変更」)に関して、議論が自分にとって不利な時にも用いる手法であるとした上で、「論点の変更に気づかない、あるいは、たとえ気づいてもそれを口に出す勇気をもたなかったり、そのタイミングを見い出せない人がけっして少なくない」ことから、論点の変更は「ふつう想像される以上に効果的である」と述べています。

 

(2)論理操作

大半の誹謗中傷などの事案では、一種の論理操作を伴います。そうすることで、誹謗中傷者その他の攻撃者が取り上げている内容が、一般の読者から、もっともらしく、真実らしく見えるように情報操作しようとしたり、「誹謗中傷ではなく、意見論評だ」といった弁解の材料にしようとします。2016年の米国大統領選挙の頃などから、misinformationやdisinformation(要するにフェイク・ニュースのことです。)のSNS等での流布が問題とされていますが※4、攻撃者が行う論理操作は、そうした誤情報の作出と、手法として非常に似ています。

 

※4 フェイク・ニュースの手口や具体例については、例えば、総務省のプラットフォームサービスに関する研究会による最終報告書(2020年2月)等を参照(https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/d_syohi/ihoyugai_05.html)。

 

論理操作の手法は様々ですが、一例を挙げると、次のような論理操作があります。

 

法的三段論法という言葉もありますが、どの論理構成も単純化すると3段階になります。まず、Xかどうかという問題設定があり、Yという根拠や理由等があり、Zという結論になります。被害者のZという結論としての言動に対して、攻撃者は、論理展開をひっくり返して「間違っている」などと攻撃します。

 

例えば、被害者が、ある行為Aが倫理違反かどうかという問題設定(上記Xに相当)について、一定の事実関係や証拠(上記Yに相当)から、倫理違反でない(上記Zに相当)という見解を述べたとします。

 

これに対して、誹謗中傷者その他の攻撃者は、被害者の「倫理違反でない」という見解に対して、上記Xにおける問題設定に戻って、被害者が行為Aの倫理違反の可能性を認めていないから、間違っているなどと攻撃することがあります。

 

これは、単に、行為Aが倫理違反だという自己の見解の一方的な押しつけにしかなっていません。本来論じるべきは、結論(Z)のもとになった事実関係や証拠(Y)なのですが、攻撃者としては、まともな反論を展開できないため、Yへの反論を素通りして、前提となる問題設定(X)を持ち出して攻撃してくるわけです。

 

X(倫理違反の可能性の存在)は問題設定ですから、それ自体は証明や論証が不要なので、攻撃者としては、事実関係や証拠(Y)という肝心な点の議論を回避して、「倫理違反の可能性を認めていないから間違っている」などという誹謗中傷や攻撃を行うわけです5

 

※5 これは、裏返して見れば、誹謗中傷者その他の攻撃者としても、Yという根拠に基づく結論Z(倫理違反でない)を否定できないため、「(倫理違反という結論が正しいとしても)倫理違反の可能性を認めていないのが間違っている」等と揚げ足取りのような攻撃をするしかないわけです。

 

あるいは、別のパターンの論理操作として、攻撃者は、被害者が結論(Z)を出すために、根拠となる証拠をねつ造したり、事実関係を歪曲した等と攻撃します。論理展開は「YからZ」なのですから、Zを否定したいのであれば本来はYという条件・証拠が存在しないことを論証しなければならないところ、Yを否定する具体的根拠がないため、殊更に「ZからY」だと論理展開をひっくり返すことで攻撃するわけです。

 

こうした論理操作を利用した誹謗中傷は、読者が斜め読みするだけでは分かりにくいこともありますから、新聞雑誌等のメディアにおいて、嘘だ、失敗だ、隠蔽だといったような印象操作に踊らされずに、リテラシーを発揮して、こうした誹謗中傷を排除していくことが求められます。

 

(3)根拠のない一方的なラベリングを通じた印象操作

これも、誹謗中傷などの典型的なテクニックの1つであり、また誤情報の形成・流布でもよく見られるところです。一方的なレッテル貼りという言い方もできます。

 

例えば、誹謗中傷者などの攻撃者は、被害者について「嘘をついた」「間違った」「失敗した」等とのネガティブなラベリングをします。しかし、そのラベリングの根拠となる事情には何も言及できないか、言及していても、当該事情から当該ラベリングに話がつながっていません。それにもかかわらず、攻撃者が、様々な媒体を通じて、このラベリングを何回も何回もしつこく繰り返すことによって、被害者に対して、そうしたラベリングを与えようという印象操作です。

 

例えば、ある出来事Aにおける被害者の言動Rについて、「嘘をついた」のであれば、言動Rが事実でないことを根拠をもって示す必要がありますが、誹謗中傷者その他の攻撃者は、かかる根拠を示さず(また、根拠にならない事象を「根拠」と称して)、言動Rが「嘘だ」というラベリングを続けます。

 

あるいは、ある出来事Aにおける被害者の言動Sが「失敗だった」のであれば、言動Sの結果として、当該出来事Aの進捗において、具体的にいかなる支障や不具合が生じたのかを示す必要があります。そうした支障や不具合などが現実に発生していない場合には、こうした事情を示すことができません。しかし、誹謗中傷者その他の攻撃者は、それでも、ひたすら「失敗だった」等と繰り返してきます※6

 

※6 このようなラベリングは、論理的な批評を放棄するものであり、また、誤りの命題や不確かな命題を感情や利害に訴えることによってもっともらしく思わせる心理的操作としての側面があると指摘されています(前掲足立「議論の発展のために(その2)-無論理的虚偽について」110頁以下)。

 

「根拠のない強調や繰り返しによるラベリングを通じた印象操作」では、誹謗中傷者その他の攻撃者による「自作自演」にも留意する必要があります。ある出来事Aにおける被害者の言動Sが「失敗だった」との誹謗中傷を例にすると、攻撃者自身が意見・論評を装って非難を繰り返し、当該非難があることそれ自体を理由にして「失敗だった」というラベリングを行う場合です。

 

こうした印象操作は、論理操作と比べると比較的分かり易いのですが、多忙な読者をして、中身を読まなくても、タイトルや見出しにおける扇情的な記載だけを目にして、そうした印象を持たせることになるため、それだけ悪質です。

 

もとより、読者の目を引くような過激なタイトルをつけることも往々にして見られるところですが、その分、新聞雑誌やネット媒体は、こうした印象操作に踊らされないように、掲載する言説をチェックしていく必要があります。

 

なお、第一次世界大戦後のドイツ(ワイマール共和国)でナチスの台頭やホロコーストを招いた要因の1つとして有名な「匕首伝説」※7の流布などは、こうした印象操作を社会やメディアがチェックし切れなかったために害悪を招いた顕著な例の1つであると考えられます。

 

※7 匕首伝説とは「『ドイツは戦争【筆者注:第一次世界大戦】に負けたのではない、背後から匕首で刺されたのだ』という考え方であって、この匕首とは革命を意味している」(林健太郎『ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの』(中央公論新社、1963年)67頁)というものであり、ワイマール国民議会での戦争原因等の調査委員会における、ヒンデンブルグの証言が無批判に広まったものです。「背後からの一突き」などと言われることもあります

 

(4)独断的な仮定に基づく攻撃

これは、Aという仮定を置いて、「もしAが正しいならば、被害者VはBだ」と展開する手法です。Bが被害者に対する誹謗中傷や個人攻撃の内容です。ここで、「Aが正しい」という仮定は、何も証拠があるわけでなく、論証されているわけでもありません。「被害者VはBだ」という批判の根拠として、Aという仮定を持ってきているにすぎません※8

 

※8 このような立証を要する命題を前提として採用することによって生じる虚偽は、論理学においては「論点窃取の虚偽」あるいは「前提の不当仮定の虚偽」と呼ばれます。この点、前掲・足立「議論の発展のために(その2)-無論理的虚偽について」125頁は「たとえ誤りではないにせよ自明とまではいえないような事柄、従って、議論を先へと進めるためには、まずもってそれを立証せねばならない当のその事柄が前提として立てられる場合にも、論証は健全とはいいがたい。」と述べています。

 

例えば、「『普通の人はそんなことをしない』という仮定(Aに相当)が正しいのならば、『そんなことをした被害者は目立ちたがり屋ということになる』(Bに相当)」という誹謗中傷や個人攻撃の手口です。

 

この手口は、「VはBである」という誹謗中傷をするためにちょうど都合が良い仮定Aを独断で設定し、その仮定Aには根拠がないことに口をつぐんで、「Aだから、VはB」という誹謗中傷を行うものであり、あたかも意見・論評のような外形で、いくらでも都合の良いように人を誹謗中傷できるテクニックの1つです※9

 

※9 高田博行『ヒトラー演説』(中央公論新社、2014年)92頁は、ヒトラーの演説でこうした手口が多用されたとした上で、「『もし~ならば』(wenn)という接続詞によって独断的に可能性が仮定され、帰結部にはその前提に合致した都合のいい論が展開される。これは、一方的な主張をするのに適した表現形式である。」と述べています。

 

(5)言動の歪曲

これは、被害者や他者の言動を文脈から切り離したり、言葉尻をとらえるなどして、恣意的に歪めることを通じて誹謗中傷などの攻撃を行うものです。まず、被害者の言動を歪曲して攻撃するというのが最もシンプルな方法であり、意図的でないものも含めれば、日常的にも往々にして見られるものだと思います。

 

また、権威性のある第三者の言動を都合の良いように歪曲して、こうして歪曲した権威性のある第三者の見解に依拠して、被害者の言動を攻撃するという方法もあります。

 

権威性のある第三者の言動の歪曲という手口は、フェイク・ニュースでも使われる方法ですが、明らかにデタラメな内容でなく、その第三者の実際の言動を歪曲することで、外形的には「尤もらしい見解」が出来上がります。通常、読者は、自分では、その第三者の実際の言動を確認しません。そのため、読者は、比較的容易に攻撃者に騙されてしまう、というリスクがあるために、特に悪質・危険です。

6. 誹謗中傷は、誹謗中傷者自身を不幸にするものであること

誹謗中傷問題に取り組んでいる識者の方(実名記載の了解を頂戴していないので、匿名にしています。)が仰っていたことですが、誹謗中傷者に、誹謗中傷で不幸になるのは自分自身だということを認識させることも、誹謗中傷対策として大事な手段の一つです。

 

確かに、誹謗中傷者は、誹謗中傷を行うことで、刑事上・民事上の法的責任を問われ、不幸になります。

 

仮に法的責任というレベルまでいかないとしても、誹謗中傷者から人は離れていきます。被害者でなくても、誹謗中傷者の個人攻撃的な言動や他者を侮辱する言動を客観的・中立的に見ている人からすれば、「この人とは人間として付き合いたくない」となって、誹謗中傷者から離れていくのが自然です。誹謗中傷者は最後は誰からも相手にされなくなってしまいます※10

 

※10 樺沢紫苑「よく悪口を言う人ほど「不幸になる」科学的根拠 楽しいのは一瞬だけ「人を呪わば穴二つ」(東洋経済オンライン)(https://toyokeizai.net/articles/-/366140?page=3)も、「心理学の法則で『返報性の法則』というのがあります。人は誰かに親切にされたとき、「その親切をお返ししないといけない」という気持ちが湧き上がる心理です。「好意の返報性」を上手に使うと、あなたの信頼度を高め、人間関係を深めることが可能です。しかし、残念なことに世の中の多くの人は、「悪意の返報性」を使っています。ネガティブな感情に対しては、人はネガティブな感情を返したくなるものです…【中略】あなたは「よく悪口を言う人」と周りにネガティブな印象を植え付けてしまいます。いつ自分に矛先が向かうかわからないので、周りの人たちは悪口を言う人を心から信頼しないでしょう。」と述べています。

 

そうしたことを誹謗中傷者に気付かせることも、誹謗中傷対策として有効なのだと思います※11

 

※11 ネット上の誹謗中傷・ネットいじめ(cyberbullying)を行う加害者の属性に関する研究について系統的レビューを行った興味深い研究として、“Perpetrators'perspective on cyberbullying: a qualitative systematic review with bibliometric analysis” Suhans Bansal, Naval Garg, Jagvinder Singh, Library Hi tech, 30 Oct 2023がありますので、関心のある読者はご一読ください。

 

 

木目田 裕
西村あさひ法律事務所・外国法共同事業 パートナー弁護士

 

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