繁栄と貧困を分けるのは政治経済の制度
バブル崩壊後の30年あまり、日本の政治は、日本が抱える最大の問題「少子高齢化による人口減少」を放置し続けてきた。冷戦が終わり、世界がグローバル化し、さらにITによるデジタルエコノミーが進展したというのに、それに適応しようとせず、「昨日と同じ明日」を続け、ガラパゴス化を加速させてしまった。
政府がやったことは、バラマキによる企業と国民の救済だけ。その結果、日本経済は社会主義としか思えない統制経済、縁故経済になってしまった。
それにしても、なぜ、日本はなすすべもなく衰退を続けるのだろうか?
『国家はなぜ衰退するのか──権力・繁栄・貧困の起源(上下)』(ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン著、鬼澤忍訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2016)は、この地球上に豊かな国と貧しい国の両方が存在するのはなぜか? 不平等の原因はなにか? を解き明かした名著だ。
彼らの研究によると、その原因の説明として
(1)気候、地理、病気などが経済的成功を左右するという「地理説」
(2)宗教、倫理、価値観などを国の繁栄と結びつけるという「文化説」
(3)貧しい国が貧しいのは統治者が国を裕福にする方法を知らないからだとする「無知説」
などがある。
しかし、彼らはこれらをいずれも否定し、繁栄と貧困を分けるのは政治と経済における「システム」の違いだと指摘・結論した。
民主制による自由経済が繁栄をもたらす
彼らは国家のシステムを大別して二つとした。
一つは、権力が社会に広く配分され、大多数の人々が経済活動に参加できる「包括的制度」。民主制による資本主義自由経済がこれに当たると言える。もう一つは、限られたエリートに権力と富が集中する「収奪的制度」。こちらは、独裁制、貴族制、共産党一党支配体制などの下での統制経済と言えるだろう。
前者の下では、法の支配が確立し、人々の所有権・財産権が保護され、技術革新が起こりやすい。しかし、後者の下では、これと反対のことが起こる。「経済的な成長や繁栄は包括的な経済制度および政治制度と結びついていて、収奪的制度は概して停滞と貧困につながる」と、彼らは述べている。
つまり、近代においては、民主体制で資本主義自由経済が機能しなくなると、国家は衰退し、貧しくなっていくのだ。
この本の考察を日本に適応してみると、第二次大戦後の日本は一気に民主化され、その下で資本主義自由経済が機能する国家となった。このことが、その後の画期的な経済成長の原動力となったと言える。
ところがバブル崩壊後の日本は、不良債権の処理のために国家の借金がかさみ、それとともに政治・経済システムはどんどん「収奪的制度」のほうに移行してしまった。日本の資本主義から自由さが失われ、縁故による統制経済、社会主義経済となってしまった。
アベノミクスのことを「新自由主義」などと、いまだに言っている“お花畑”エコノミストがいるが、安倍政権が実行したのは異次元の金融緩和による金融市場の抑圧であり、その結果、日本は中国よりひどい統制経済になってしまった。いまや日本には、完全な民間企業はないも同然だ。
名だたる日本企業は、日銀に株を買われたために、「国営企業」と化している。国債は際限なく発行され、それを日銀が引き受ける「財政ファイナンス」が公然と行われている。
こんなことは、フツーの資本主義国では起こりえない。独裁政権のような国でないと起こらない。なぜなら、法の支配を完全に無視しているからだ。いまの日本は、国家が単にカネを刷って、それで政府を運用し、さらに国民に配っているだけの国だ。
かつての民主党政権、その後の自民党政権、そしていまの岸田政権と、やっていることはみな同じである。独裁国家の末期によくある「バラマキ政治」が続いている。かつてのアルゼンチン、最近のベネズエラと同じだ。これでは、経済衰退が加速するわけである。