租税回避の事実があれば「放置」はできない課税庁
今回のテーマは「武富士事件」です。
租税回避をしたという事実が認められるとしても,それだけで課税ができることにはなりません。租税法律主義(憲法84条)という大原則があり、その具体的なあらわれとして「課税要件法定主義」がある以上、法律に定められた 「課税要件」を満たさなければ、課税をすることはできません。
しかし、課税庁の立場からみると、租税回避という事実がある場合に、法律に規定がないからといって、これを放置することはできないのです。それは「課税正義」という観点があるからです。
このような場合、課税庁は「課税要件」の解釈(法解釈)について、理論構築をすることで、何とか課税をしようと考えます。この事件では、課税要件は「受贈者の住所が日本国内にあること」にあったのですが(相続税法)、受贈者の生活実態が香港(国外)にあったという事実は証拠上揺るぎません。
つまり事実認定としては、日本国内に住所があったとはいいがたいのですが、「住所」とは何か、どのように判断すべきなのかという「法解釈」の方法を考えたときに、租税回避のような意図がある場合、課税を免れるために住所を移したに過ぎないのだから、真に国外に居住する意思はなかった、そして居住意思がない場所を住所とはいえない、と考えることができるとすれば、同じ事実を前提にしても、住所は日本国内にあるとして、課税できるという考え方も成り立ちます。
この事案からは、こうした租税回避に対する課税というテーマ(租税法律主義と租税回避、ということもできます)について、「税法の解釈」を学ぶことができます。
争点のキーワードとなった「借用概念」とは?
前著では、税法の解釈には「借用概念」があり、借用概念については、民法、商法、会社法の概念と同じ意義で考えるべきとの解釈論をお話しました。この事例では、まさにこの問題が争点になっています。
また、前著では「法的三段論法」の重要性をお話しましたが、そこでは「法解釈」と「事実認定」という2つのステップを経て結論を出す、という説明をしました。もっとも、実際の裁判(税務訴訟)で、この法解釈と事実認定がどのように表れているのかが、ピンとこない(まだよくわからない)という方もいたと思います。
この事例では、法的三段論法のプロセスのなかで、どの部分が主たる争点となり、結論に影響を及ぼしたのかを具体的に学びます。それは,第1審・上告審と、控訴審とで、結論が異なった理由を捉えることでわかるのですが、同じ結論になっている第1審と上告審でも,判断の方法が微妙に違うことも指摘します。
有名な巨額の租税回避事件(かつ最高裁での納税者逆転勝訴事件)を素材に,このあたりの重要な思考法を学びましょう。
本連載のキーワード:借用概念
借用概念というのは、課税要件を定めた税法の規定のなかで、他の法分野における(多くのケースでは、一般私法である民法や商法・会社法などに規定されている)法概念が、特に定義されることなくつかわれている場合に、他の法分野(民法や商法・会社法など)の法概念と同じ意味でその法概念をとらえるべきか、それとも、税法独自の観点からその法概念をとらえ直してもよいか、という議論です。