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私の推論を要約すると、最も可能性の高い未来は次の通りだ。生産、交換、商売によって生み出される富の蓄積を司るのは、依然として商秩序だ。商秩序は、地政学、政治、価値観を支配し続ける。第9の「形態」は崩壊する。アメリカは第9の「形態」を維持しようと試みるが、失敗に終わる。2050年のアメリカは、経済、地政学、文化の面で支配的な勢力ではなくなり、第10の「形態」が登場する。
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インドはどうか?
中国以外に10番目の「形態」の「心臓(=商秩序における中心都市)」になる候補はあるだろうか。
そのころのインドの人口は世界第1位だ(世界の人口のおよそ18%に相当する17億人。インドは、世界最大のイスラム社会を抱える)。インドの人口に占める若年層の割合は非常に高い(25歳未満が国民の40%、25歳から50歳が37%、65歳以上はわずか15%)。
インドは世界第2位の経済大国になる。近年の経済成長の加速を考慮すると、インドのGDP(2010年の恒常ドル換算)の世界シェアは、アメリカをわずかに上回る16%になる。
2030年、インドの中所得世帯数はおよそ1億4000万、高所得世帯数はおよそ2100万になる。人口の40%は都市部で暮らす。極度の貧困に喘ぐ世帯数の割合は、全体の15%から5%へと減少する。
海賊行為が減少すれば、ムンドラ港(グジャラート州/世界第26位)とジャワハルラル・ネルー港(マハラシュトラ州/世界第28位)は、世界のトップクラスに浮上するだろう。
しかし、インドの道のりは前途多難だ。第一に、蔓延する汚職がインドの発展と脆弱な民主主義の障害になる。さらには、何の対策も施さないと、インドは気候変動から壊滅的な被害に遭い、期待される経済成長にも疑問符がつくだろう。
ヒマラヤの雪解けにより、大きな河川の氾濫は、今日よりもさらに頻繁に起こる。主要都市(ムンバイ、チェンナイ、コルカタ、ヴァーラーナシー、バーヴナガル、コーチ)、そして西ベンガル州、ケララ州、グジャラート州、オディシャ州などの沿岸部の州では、洪水による深刻な被害が発生する。
その一方で、人口の少なくとも40%は水不足に悩まされる。さらに、中国は強敵インドの発展を阻止するために手段を選ばない一方で、インドも中国政府の影響力を制限するためにさまざまな措置を講じる。
一例として、インド政府は国内での中国のSNS「ティックトック」の利用を禁止した。中国とインドという、将来の超大国同士が激突する恐れも考えられる。他方、アメリカは両国を弱体化させようと尽力するだろう。
結論として、インドには商秩序の「心臓」になる体力がまだ備わっていないだろう。
EUはどうか?
EUにも、1世紀半ぶりに「心臓」を奪還するチャンスがわずかながらある。現在の加盟国の状態なら、EUの人口は4億4000万人だ。購買力平価GDPの世界シェアはおよそ9%だろう(現在は14.8%)。GDPでは、中国、インド、アメリカに次ぐ世界第4位の「国」であり、1人当たりのGDPでは、韓国とアメリカに次ぐ世界第3位だろう。ユーロは、世界で3本の指に入る主要通貨に留まるはずだ。
EUがさらに大きな勢力を得るには、バルカン半島の国々、ウクライナ、さらには民主化されたロシアにまで領土を拡大し、独自の自衛手段を確保し、未来の主要テクノロジー(例:エネルギー、人工知能)を牽引する必要がある。そのためには、従来の競争政策ではなく、インド、アメリカ、中国などのおもなライバル国と同様に、共通の防衛政策と積極的な産業政策を推進すべきだろう。
また、新たなサービスの自動化に必要なテクノロジーを習得し、人口の高齢化を補うための、大胆かつ大規模な外国人受け入れ政策を展開しなければならない。アフリカ諸国とは、平和かつ経済的にバランスの取れた関係を構築すべきだ。
EUの団結を強化するには、少なくともEU主要国であるドイツ、イタリア、フランスの政府が見通しを一致させて協調した行動をとる必要がある。だが、これらの実現性はきわめて低い。EUが立ち往生する、さらには崩壊する恐れさえ考えられる。
フランスはどうか?
2050年のフランスは、どうなっているだろうか。フランスは依然として、軍事用および民生用の原子力大国であり続けるだろう。
フランス語の話者人口は、現在のおよそ3億2000万人(世界人口の4%)から7億5000万人(8%)になっているはずだ。
フランスの人口は7700万人になり、平均寿命は、男性が90歳、女性が93歳になっている。合計特殊出生率は依然としてヨーロッパで最も高いが、2を下回るだろう。だが、移民の流入によって人口の減少は回避される。引退世代1人に対する現役世代の人数は低下し、その比率は2を下回る。
フランスは、運輸、エネルギー、高級品の分野で活躍する既存の企業に加え、エネルギーおよび環境に関する移行産業(水素、核融合、低炭素の物流)、ハードウェア(電子チップ、マイクロプロセッサ)、繊維、医療、食品などの分野で、巨大企業の出現を促すことができる。だが、その可能性は低い。
フランスは、輸送、暖房、空調などの電化および省エネを追求することにより、2050年までにカーボンニュートラルを達成できるかもしれない。だが、その際の電力需要は倍増する(2023年の475テラワットアワーから890テラワットアワーになる)。よって、太陽光や風力に加えて、原子力発電所の増設や電力貯蔵設備が必要になる。
しかしながら、フランスは途方もない衰退に襲われる。GDPは世界第40位、1人当たりのGDPは世界第25位付近になる見込みだ。脱宗教に基づくフランスの社会モデルは吹き飛ぶ恐れがある。
フランスが成功するための条件は、他国と同じだ。社会正義、国の事業に対する国民の理解、若者のやる気の喚起、教育と医療の充実、社会の流動性向上、有能な外国人の招聘、公共施設の改善などに関して、膨大な努力が必要になる。
気候変動に適宜に対応しないと、他の地域と同様に、フランスも甚大な被害に遭う。とくに、フランスにとって文化的、経済的に重要な農業は、深刻な影響を受ける(水不足、天候不順、収穫時期のずれ、ブドウと果物の味の変化など)。
現状、2050年までに「心臓」になれる国は存在しない
では、10番目の「形態」の「心臓」はどこになるのか。別のランキングによると、2050年ごろには、マイアミ、ドバイ、シンガポールが栄華を誇るというが、私は、これら3つの都市が「心臓」になるとは思わない。
2050年に新たな「心臓」が登場するには、アメリカの場合、国内に堆積する膨大な問題を解決し、未来のテクノロジーの主導権と、アジアの地政学的な支配を取り戻す必要がある。だが、その可能性は低い。
中国の場合、一党独裁から抜け出し、法の支配を確立し、汚職を撲滅し、世界の「心臓」になる計画を掲げる必要がある。だが、その可能性はさらに低い。
インドの場合、たとえばムンバイが「心臓」になろうとしても、インドはあまりにも貧しい。
ヨーロッパの場合、ロシアも含めて、政治的、産業的、軍事的に統合する必要がある。だが、その可能性はきわめて低い。EUでなくヨーロッパのどこかの国が才能のある人材を自国に呼び寄せ、きわめて厳格な法律によって市場を監督し、人権を尊重する強靭な「心臓」になるという可能性はどうだろうか。私は、この想定は現実的でないと思う。
過去1000年間の状況とは大きく異なり、商秩序はきわめて強力になり、テクノロジーはノマド化し、地理的に決められる政治力では、商秩序を制御、指導、規制できなくなった。
一国の軍隊だけでは、世界中の海、陸、空間、デジタル・ネットワーク、人々の心、反乱を取り締まることができなくなった。一国の金融センターや通貨だけでは、世界市場を制御することができなくなった。
付加価値に占める資本家が手にする割合は、今日よりも高くなることからも、誰も資本の持つ力を制御できなくなるだろう。
【著】ジャック・アタリ(Jacques Attali)
1943年アルジェリア生まれ。フランス国立行政学院(ENA)卒業、81年フランソワ・ミッテラン大統領顧問、91年欧州復興開発銀行の初代総裁などの、要職を歴任。
政治・経済・文化に精通することから、ソ連の崩壊、金融危機の勃発やテロの脅威などを予測し、2016年の米大統領選挙におけるトランプの勝利など的中させた。
林昌宏氏の翻訳で、『2030年 ジャック・アタリの未来予測』『海の歴史』『食の歴史』『命の経済』『メディアの未来』(プレジデント社)、『新世界秩序』『21世紀の歴史』、『金融危機後の世界』、『国家債務危機――ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?』『危機とサバイバル――21世紀を生き抜くための〈7つの原則〉』(いずれも作品社)、『アタリ文明論講義:未来は予測できるか」(筑摩書房)など、著書は多数ある。
【訳】林 昌宏
1965年名古屋市生まれ。翻訳家。立命館大学経済学部卒業。
訳書にジャック・アタリ『2030年ジャック・アタリの未来予測』『海の歴史』『食の歴史』『命の経済』『メディアの未来』(プレジデント社)、『21世紀の歴史』、ダニエル・コーエン『経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える』(いずれも作品社)、ボリス・シリュルニク『憎むのでもなく、許すのでもなく』(吉田書店)他、多数。