「ネズミを捕るのがいい猫」…近現代中国経済史を振り返る
デジタルエコノミーの進展に象徴されるチャイナテック躍進の背景には、1990年代からの経済的躍進を支えた政府主導の大量投資と国内の大量かつ安価な労働力による輸出主導の経済発展モデルから脱却し、技術大国として世界をリードし、経済大国としての国際的地位を維持しようとする中国の国家的意志があることは明白です。
その実相を見る前に、なぜ、そのような国家的意志が形成されたのかを理解するため、中華人民共和国成立後の中国の現代史を、経済史の視点から簡略に振り返っておきたいと思います。
1970年代までの中国は、人民公社の建設を中核とする計画経済政策を推し進めていましたが、指導部の思惑通りには経済は成長せず、経済活動は停滞していました。しかし、1978年に実権を掌握した鄧小平の登場で、中国の経済政策は大転換を遂げ、経済は活性化します。「改革・開放」の幕開けです。
その総設計師と称される鄧小平は「改革・開放」を「中国の第二次革命」と位置づけ、共産党一党独裁の政治体制を維持しつつ、経済政策では計画経済から社会主義市場経済への移行に踏み出しました。「黒い猫だろうが白い猫だろうが、ネズミを捕るのがいい猫だ」という語録は非常に有名ですが、鄧小平はこの発言で、冷戦の終焉前に社会主義か資本主義かというイデオロギー論争に終止符を打ち、中国は経済発展を最優先するという姿勢を内外に示したのです。
発展至上主義
「改革・開放」は中国にとって実利的な経済政策でした。世界に対しさまざまな分野を開放するのと引き換えに、外資と世界の技術を取り入れることで経済発展を軌道に乗せようとしたのです。そこには「発展才是硬道理(発展こそ根本的道理だ)」という信念が貫かれていました。いわゆる発展至上主義です。
それは鄧小平の政治哲学であり、同時に、中国国民への呼びかけでもありました。力を結集して豊かな社会を実現しようという、この呼びかけに応えた人々のパワーが中国の経済成長を支えた原動力であったことは間違いありません。
鄧小平は沿岸部の深圳や厦門などに経済特区を設け、資源や優遇政策を集中投入して改革の実験を行うと同時に、開放政策で外資の誘致を積極的に推し進め経済発展を軌道に乗せました。
ニューノーマル
1989年の天安門事件後の引き締め政策により経済発展は一時期停滞しましたが、1992年に鄧小平が再び「改革・開放」の加速を強く訴えたのを機に、中国経済は驚異的な高度成長期を迎えます。中国は「世界の工場」と呼ばれるようになり、2001年には世界貿易機関(WTO)にも加盟しました。社会主義国家でありながら、貿易では資本主義諸国の自由貿易のルールに従うという意思を表明したのです。
今世紀に入っても発展の勢いは止まらず、2010年には米国に次ぐ世界第2位の経済規模にまで上り詰めました。日本が1990年代前半のバブル経済の崩壊を機に長期の停滞に陥り、経済大国の座から滑り落ちたのとは対照的です。
2000年には僅か960ドルにすぎなかった中国の国民一人当たりのGDPは2019年には10倍以上の10000ドル超に達し、多くの人々がより広い住居に住み、自家用車を所有できるようになるなど、経済発展の果実を享受するようになりました。そして、国民所得の増加に伴い、世界第1位の14億の人口を擁する中国は「世界の市場」としても、グローバル経済の中でその重要性を増していきました。
しかし、2012年以降、中国の経済発展は翳りを見せ始めます。経済成長は年平均10%超という超高度成長期を終え、年平均7%前後で推移する中高速成長期という新たな段階に入りました。その状態は「ニューノーマル(新常態)」と呼ばれています。それは、大量投資と大量の安価の労働力を背景とした輸出主導の経済発展モデルが限界を迎えたということを意味します。
その現状を打破し、経済成長を続けるための新たなエンジンとして中国政府が注力するのが先進技術、つまり「チャイナテック」です。中国は、先進技術をエンジンとして経済成長を継続させ、経済大国としての地位を盤石にしようとしているのです。
趙 瑋琳
株式会社伊藤忠総研 産業調査センター
主任研究員
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