東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸時代に交通の要所として発展した街に焦点を当てていきます。
日本橋、品川、高井戸、新宿…江戸文化息つぐ「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩⑥】 (※写真はイメージです/PIXTA)

日本橋【中央区】…五街道の起点、現在は日本国道路元標がある

日本橋と獅子像
日本橋と獅子像

 

日本橋は、東京都中央区にある地名およびその周辺地域の総称であり、日本の経済や文化の中心地の一つとして知られる地域です。隣接する丸の内や大手町などと共に、日本最大のビジネス街を構成しています。

 

歴史的には、日本橋は東京の中心部に位置し、江戸時代から日本の商業の中心地として栄えてきました。江戸時代には、日本橋周辺に多くの商家や問屋が集まり、物流や金融の中心地として発展。また、日本橋は五街道の起点でもあり、日本全国への物資の流通の拠点としても重要な役割を果たしました。現在も日本の道路の起点として、日本橋の中央に日本国道路元標があり、一級国道の起点となっています。

 

橋の始まりは、徳川家康が江戸の市街地整備を行った際に、江戸城下の平川(のちの日本橋川)の河口が延長され、その時に平川に架けられた木橋が、のちの日本橋です。

 

慶長9年(1604)の街道整備に伴い、この日本橋を起点として一里塚が建設され、以来、旅人にとって一里塚は、道のりの目安や休憩場所として利用されてきました。

 

江戸に関する基本史料の『御府内備考』(江戸幕府が編纂した江戸の地誌)には「日本橋」という記載がありますが、名前の由来は定かではありません。ただ、日本国中の人々が集まる日本の中心の橋という認識から、「日本橋」という呼称が定着して、いつしか橋だけの名前ではなく、そのエリア一帯を指す名称として使われるようになっていったと考えられます。

 

日本橋の北詰東側と江戸橋の間には魚河岸がありました。天正年間(1573~92)、徳川家康の関東入国に際し、家康に縁のあった摂津国佃村(大阪市西淀川区佃)の名主森孫右衛門ら漁夫30余名が江戸に移住して(寛永年間(1624~44)説もあり)漁業を営み、その漁獲物を幕府に納め、残りをこの地で売り出す許可を得ました。その後、同業者も増え販売量も増加したため、慶長年間(1596~1615)に森九右衛門(森孫右衛門の長男)らが本格的に売り場を本小田原町に開設するようになったのが、日本橋魚河岸の始まりと言われます。その後、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で焼失し、魚河岸は築地に移転されました。

 

現代の日本橋は、ビジネス街としての顔も持ちながら、歴史的な建築物や伝統的な商店街も多く残っており、観光スポットとしても人気があります。また、日本橋は東京の交通の要所でもあり、多くの鉄道や道路が交差する交通インフラの中心地としても重要な位置を占めています。

 

日本橋周辺には、日本の伝統文化に触れられる施設や、飲食店、商業施設、高級ブランド店なども多くあり、観光客に人気のスポットとなっています。また、現在の日本橋本石町にある日本銀行はかつて金座があったところであり、日本橋は金融街としても知られ、多くの金融機関や証券会社が集まるなど、経済の中心地としての役割も果たしています。

 

【日本橋周辺のおすすめスポット】

◆日本橋

古代から存在するとされる橋。現在の橋は石造アーチ道路橋で、デザイン的にも技術的にも優れた明治期を代表する橋として、平成11年(1999)国の重要文化財に指定

◆日本銀行金融研究所貨幣博物館

古代から現代に至る、貨幣・紙幣の実物(一部は複製)と資料を合わせ、貨幣制度の移り変わりを展示する博物館

◆三井記念美術館

旧財閥三井家の伝来品を収蔵展示するために設立された私立美術館。特に、江戸時代の絵画や美術工芸品に強みを持ち、現代美術にも力を入れています

◆小綱神社

「強運厄除けの神さま」といわれるパワースポット。起源は村の疫病を鎮めたとされる稲荷神を祀る「小網稲荷大明神」

◆日本橋三越本店

三越伊勢丹が運営する三越ブランドの百貨店の本店。三越の前身である呉服商の「越後屋」は延宝元年(1673)江戸本町にて創業。日本の百貨店業界の歴史と伝統を象徴する存在

◆日本橋髙島屋S.C.

大阪に本社を置く老舗百貨店「髙島屋」の日本橋店。2009年に建物が日本の百貨店建築として初の国の重要文化財に指定。2019年に「日本橋髙島屋 S.C.」に全面リニューアル

◆日本橋クルーズ

日本橋船着場より乗船する乗り合いクルーズ。個性のあるリバーガイドが船から東京の街を楽しく案内してくれます