東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸時代に交通の要所として発展した街に焦点を当てていきます。
日本橋、品川、高井戸、新宿…江戸文化息つぐ「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩⑥】 (※写真はイメージです/PIXTA)

高井戸【杉並区】…甲州街道の第一宿

 

下高井戸塚山遺跡
下高井戸塚山遺跡

 

交通情報でよく聞く「高井戸インターチェンジ」がある高井戸は東京都杉並区にある地名で、杉並区の最南部に位置する地域です。甲州街道と環状八号線が交わるこの地は、江戸時代においても交通の中継地点でした。

 

地名の起源はあまりはっきりしておらず、不明な点が多いです。かつて小高いところにあった堂の傍らから水が湧き出ていたことから、高いところの井戸「高井戸」と呼ばれた説、高台のお堂に不動様が祀られていたことで「高井堂不動」と呼ばれ、そこから「高井戸」という名称が生まれた説、また高低や井戸に関係なく、高井家が代々宮司を務めた神宮寺があり、そのお堂には不動様が祀られていたことから「たかいどう」と呼ばれていたことが由来となった説などがあります。

 

高井戸は、江戸を起点とする五街道の一つ、甲州街道の第一の宿でした。甲州街道は江戸日本橋から甲府(山梨県)を経由して下諏訪(長野県)に至る街道で、下諏訪で同じ五街道の一つ、中山道に合流しました。元和2年(1616)、甲州街道の人馬の通行を監視するため四谷(新宿)に大木戸が設けられ、寛永15年(1638)には、その交通に携わる専門業者の町として、四谷伝馬町が開かれました。

 

『新編武蔵風土記稿』によれば、高井戸宿は日本橋から四里(約16キロメートル)の位置にあり、上高井戸宿と下高井戸宿に分かれ、月の1日~15日までを下高井戸宿が、16日~30日までを上高井戸宿が営業していました。また、甲州街道の他の宿と同様、公用荷物などの継ぎ送りのために人馬25人・25匹を常備していましたが、これでは公用の通行に不足するため、周辺35の村を助郷村(すけごうむら)として、人馬の応援を得ていました。

 

高井戸宿は最盛期には旅籠屋34軒を数えるほど賑わっていましたが、江戸から遠いという理由で元禄11年(1698)に江戸との中間に内藤新宿が開設されました。内藤新宿は一旦廃止されるも再興され、江戸の西の玄関・盛り場として大いに繁盛、一方で高井戸宿は活気を失ってしまいました。

 

【高井戸周辺のおすすめスポット】

◆高井戸温泉 美しの湯

高井戸駅から徒歩2分の市街地にある温泉施設。地下1,600mより湧出する琥珀色の天然温泉は疲労回復や美肌効果が期待できます

◆高井戸遺跡

都内で最も古い稲作遺跡とされる「高井戸稲作遺跡」が発見されたことで知られる。遺跡からは弥生時代の生活や文化についても多くの知見が得られ、古代日本の研究に重要な役割を果たしています

◆塚山公園

杉並区下高井戸にある区立公園である。縄文時代中期の集落遺跡で、区指定史跡に指定されている塚山遺跡の復元住居などが公開されている

◆柏の宮公園

杉並区浜田山二丁目にある区立公園。草地広場や池にテニスコート、日本庭園と茶室といった公園としての設備に加え、区の防災施設として、災害備蓄倉庫や防災井戸も設けられている