東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸時代に交通の要所として発展した街に焦点を当てていきます。
日本橋、品川、高井戸、新宿…江戸文化息つぐ「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩⑥】 (※写真はイメージです/PIXTA)

千住【足立区】…日光街道の初宿

日光街道 千住大橋
日光街道 千住大橋

 

千住は東京都足立区の町名ですが、地域名としては旧千住町一帯を指します。

 

千住という地名の由来は、『新編武蔵風土記稿』によれば、嘉暦2年(1327)、荒川で千手観音が拾い上げられ、勝専寺(千住2丁目)に安置されたからとする説や、中世に千葉氏が居住していたため千葉住村(ちばじゅうむら)といっていたのが略され千住村となったという説などがあります。

 

古くから交通の要所であった千住村は、江戸時代に入ると江戸から江戸以北へ通じる日光街道の初宿に指定されました。日光街道は家康を祀る日光東照宮への社参に使用される重要な街道であり、千住は様々な多くの人々で賑わっていました。

 

江戸に向かう大名は、最後の宿場である千住で身支度を整えてから江戸に向かいましたが、この時捨てられた衣服や足袋を拾い集めて売ったのが、現在も続く千住勝専寺前のボロ市の始まりといわれます。

 

一方、千住のような初宿は、江戸から距離が近いということで宿泊する旅人が少なく、営業不振に陥る店も少なくありませんでした。その打開策として、旅籠屋に飯盛女を置かせて欲しいという願い出が、千住・品川・板橋三宿の問屋・年寄・旅籠屋惣代連名で幕府に出され、明和元年(1764)に、品川は500人、千住と板橋には150人の飯盛女が公認されました。これにより江戸後期の千住宿は、単なる宿場としてより江戸近郊の遊里として人が集まりました。近くに吉原もありましたが、安く庶民的で堅苦しくない千住を好む人は多く、大いに繁盛したということです。千住宿の遊廓は、大正8年(1919)に千住中心部から郊外の千住柳町へ移転させられ、現在は「柳町遊廓街」として、名称と町並みがわずかに残ります。

 

【千住周辺のおすすめスポット】

◆千住 街の駅

観光に役立つマップやパンフレットが置いてある観光案内所。元は魚屋さんのレトロな外観。中では休憩できるイスや展示物コーナーがあります

◆荒川

埼玉県・東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川。サイクリングロードや自然公園などがありアウトドアレジャーに最適。毎年7月に開催される荒川の花火大会も有名です

◆千住大橋

隅田川に架かるもっとも古い橋。松尾芭蕉がこの周辺から奥の細道の旅をスタートさせたと言われ記念碑があります

◆勝専寺

浸水対策によるレンガ造りの本堂や真っ赤な門が特徴的な別名「赤門寺」。毎年1月15日・16日に開かれる「えんま開き」の祭事には1.8mのえんま像が公開され人で賑わいます

◆本町センター商店街

江戸時代の千住宿の跡地にできた商店街。下町情緒あふれるこの商店街は、地元の人から観光客にまで幅広い人々が訪れる憩いの場となっています

◆名倉医院

江戸時代から整骨院として名を馳せ、「名倉」の名前は「骨接ぎ」の代名詞として全国に広まっています。千住の本院の建物は、足立区の有形文化財に指定される観光名所です

◆足立の花火

毎年7月に開催される荒川河川敷を会場とする足立区の花火大会。かつては、大正時代の千住新橋の開通を記念した花火大会の翌年から始まった「千住の花火大会」が開催されていた。