多くの中国国民が中国政府に感じていること
中国がより自由な市場経済とインターネットなどの西側の技術を受けいれはじめたとき、世界の多くの人が、中国国民はすぐに市民としての自由や政治的自由など、西側社会の他の特徴も求めるようになると考えた。だが予測はまちがっていた。
多くの中国国民は、自分たちの新しい繁栄を、西側の政治経済理論の正当性を証明するものではなく、中国共産党政府の知恵と強さを証明するものだと考えている。経済的自由のメリットは認めるが、自治にかかわるのは面倒なのだ。
彼らの目には、民主主義の国では争いが増え、社会に不安や暴力が蔓延し、政治家は守れない約束ばかりすると映っている。それに引き換え中国政府は過去40年にわたって、国民に約束した安定と経済的繁栄を一貫して実現してきた、と。
中国国民のほとんどは、このモデルが完璧でないことを認めるだろうが、それでも西側の民主主義がもたらす混乱に比べれば、ましな選択肢だと考えている。こうした見方は、中国政府が国営メディアを使って西側諸国の混乱を大きく報道し、中国自身の問題を小さく報道することによって補強されている。
国民が政府に疑いをもったとしても、中国は張りめぐらした監視網を使って、その考えが広まらないようにする手段を数多くもっている。
先進国のほとんどの国民は、政府のつくるこのような全展望監視システム(パノプティコン)を容認しないが、中国国民はたいして反発することなく受けいれてきた。これは歴史の産物でもある。
中央集権的な国家統制が長く続いたため、市民としての自由や政治的自由は、西欧やアメリカのようには社会基盤に組みこまれていないのだ。だがこれよりもっと重要な理由は、中国の人たちが政治的統制を社会の安定のために必要なコストだと見なしていることだ。
中国は個人の自由や権利よりも集団の調和や連携を重視する傾向がある。平和の代償として完全な監視が必要だというのなら、それは受けいれられるのだ。
アメリカで何年も働いた経験をもつある中国人は、中国にいるときには従順に暮らし、国外では開放的な生活を楽しむことに矛盾を感じないし、その二面性のおかげで家族が裕福になれたと私に話して くれた。
混乱と不安の時代には政治的な激変が起こりがちだが、中国国民はかつてないほどの安心感をもって2020年代を迎えた。中国の中流階級4億人の大半は、子ども時代を1日2ドルより少ない金で過ごしている。
経済界をリードする起業家や経営陣にしても、極貧から一世代も経っていない。統治の仕方が高飛車であるとはいえ、政府が大多数の中国人にかつてない幸福をもたらしたのはたしかなのだ。
この取引(政治的服従と引き換えに経済的繁栄を得る)が、中国の社会契約の核心にある。 中国共産党は、投票箱ではなく財布を通して、国民の同意を勝ちえたのだ。