(※写真はイメージです/PIXTA)

「住みたい街ランキング」の常連といえる、東急東横線沿線。タワーマンションが立ち並ぶ「武蔵小杉」は、右肩上がりで人気が上昇してきました。しかし、2022年のランキングをみると第14位と、2018年の第6位から大きくランクを下げています。いったいなぜなのか、東急株式会社常務執行役員の東浦亮典氏が、武蔵小杉駅周辺の変遷と行く末を解説します。※本連載は、東浦亮典氏の著書『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)より一部を抜粋・再編集したものです。

「等々力緑地」も再整備で“くつろげる街”に

Jリーグの強豪チーム「川崎フロンターレ」の本拠地として使用されている「等々力陸上競技場」がある川崎市のスポーツ公園「等々力緑地」が大幅にレベルアップされることも注目です。

 

武蔵小杉駅周辺はタワーマンションが林立して、住居と商業施設は充実しましたが、それだけでは日々の暮らしの潤いが足りないかもしれません。元々工場地帯だった場所に、これだけ多くの新住民が定住するようになったわけですから、近場で寛げて、楽しめる広々とした空間が求められます。

 

もちろん自然環境として多摩川の河川敷も近いので、比較的恵まれた環境だといえますが、アフターコロナ時代には、居住エリアで過ごす時間が長くなるので、等々力緑地がより使い易く、魅力に溢れる施設に生まれ変わったら、武蔵小杉周辺の価値はさらに上がることでしょう。

 

砂利採取場→釣り堀→グラウンド…「等々力緑地」の変遷

ところで、等々力緑地はもともと東急電鉄の前身、東京横浜電鉄が関東大震災によって被害を受けた東京の都市再生のための砂利需要の増加を受けて、砂利採取をしていた「新丸子採取場」でした。砂利採取をした後の穴に水が溜まり、そこが「東横池」と呼ばれていたようです。

 

戦後は砂利採取も禁止されたので、池は釣り堀として営業し、「東横水郷」と改称しました。さらに1953年には池の一部を埋め立てて、「新丸子東急グラウンド」という東急電鉄の福利厚生施設となりました。私も入社した頃は、このグラウンドで会社の運動会なども開催されましたので、よく体を動かしに行ったものでした。

 

しかし、バブル崩壊後のグループ経営危機の際、すでに隣地で都市計画公園として等々力緑地を整備していた川崎市へ1994年に売却することになり、その後現在の形になったという経緯があります。東急とはとても縁が深い場所なのです。

 

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※本連載は、東浦亮典氏の著書『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)より一部を抜粋・再編集したものです。

東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ

東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ

東浦 亮典

ワニブックス

東急電鉄に所属していた2018年に、前作『私鉄3.0』で「電車に乗らなくても儲かる私鉄の未来」を提言した東浦亮典氏。あれから4年、電鉄業界はコロナというこれまでにないパンデミックに見舞われた。テレワークの普及で働き方が…

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