68歳の元医師、退職後も悠々自適なセカンドライフのはずが…
現在68歳のAさんは、都内にあるいくつかの産婦人科で勤務医として働いたのち、最終的にとある産婦人科で雇われの院長となり、退職時年収は2,000万円ほどありました。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によると、医師の平均年収はおよそ1,378万円ですから、医師のなかでも高いほうといえます。
高所得のAさんは、タワーマンションの高層階に住み、家具・家電などもすべて値段とクオリティの高い一級品。お酒が好きで外食も多く、食費もかかります。妻と子ども2人の4人暮らしでしたが、子どもたちは2人とも医学部に進学し(学費は1人あたり約3,000万円)、現在は夫婦2人で暮らしています。
退職してからは時間ができたので、趣味の旅行と骨董品の収集をして過ごしています。旅先で古い物を見つけては思い出の品として購入しているため、コレクションは増える一方です。また、自宅にいるときも頻繁にネットオークションをチェックしており、気に入った骨董品があるとためらわずに即購入していました。
それでも、タワーマンションや貯蓄などで2億円近くの豊富な資産を保有していたAさん。贅沢な暮らしをしていても資産が枯渇する兆しはなく、年金と貯蓄を切り崩しながら、悠々自適な生活を送ることができていました。
しかし……Aさんはあることをきっかけに、これまでの生活が一転。資産残高の変動にビクビクしながら生活を送ることとなったのです。
Aさんの人生を大きく変えた「先物取引」
退職を機に、他の趣味と並行して「先物取引」を始めたAさん。現役のころから毎年のように案内があったものの、現役時代は「忙しいから」という理由で断っていました。
しかし、退職金としてまとまったお金が入り時間ができたことと、証券会社の担当者がとても熱心だったことから、担当者にいわれるがまま数百万円からトレードを始めることにしました。
すると、すぐに利益が出ました。「こんなに儲かるのなら」と、Aさんはすけべ心から投資額をどんどん増やします。思うような利益が出ず、損失が膨らんでいくなかでも、担当者の「そのうちに好転するでしょう」「下がっているいまが追加投資のチャンスです」という言葉を盲信し、求められるままに資金の追加投資に応じていました。
最初のころは順調でしたが、みるみる利益は減っていきました。気づけば1億円超の預金残高が、10分の1程度にまで減ってしまったのです。
あとから振り返ると、「なんとか取り返したいという思いから徐々に金銭感覚が麻痺し、後半にはギャンブルのような感覚で取引をしていた」と話します。
贅沢な暮らしに慣れていたAさんは、こうした状況にもかかわらず生活水準を落とすことができませんでした。家族からバレないように趣味の骨董を売り払いながら、贅沢な暮らしを続けていたのです。
「これまで勝ち組人生を歩んできた。俺はほかとは違う。エリートなんだ」という自負とプライドが邪魔をした結果、周囲にも相談できず、気づいたときには「老後破産」が目前に迫っていました。
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