(※画像はイメージです/PIXTA)

日本人の多くは、せっかくの休暇であれば遠出がしたい、普段はできないことを楽しみたいと思うでしょう。一方、観光立国トップが集まるヨーロッパでは、日本人とはやや異なる過ごし方をしているようです。ヨーロッパの人々は、どのようにして休暇を楽しんできたのでしょうか? 中川則彦氏(キャピタル アセットマネジメント株式会社)が、ヨーロッパの観光事情を前編・後編に分けて紹介します。

日欧では、そもそも「観光」に対するイメージが違う

ヨーロッパの「観光」のキーワードは、「温泉&海水浴」、「登山」、「ハイキング」、「ウィンタースポーツ」、「サイクリング」、「ドライブ」であり、さらに加えるなら、「ビーチ・リゾート」、「地中海の夏」、「新たな観光形態の登場」になるでしょうか。

 

ひと昔前までは、「観光」とは一部の富裕層などの限られた人の楽しみで、一般の人々にとってみれば、休暇の過ごし方に過ぎず、その言葉すらなかったのですが、時は流れ、「観光」の言葉とともに大衆化(一般化)していきました。

 

また、現在のヨーロッパにおいては、「観光」はリッチで高級というイメージですが、昔は世界の人々にとって、ニース、イエール、カンヌ(図表1)で夏を過ごすことは、便利でも、特別でもなく、何でもありませんでした。

 

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[図表1]フランス地図(ニース、イエール、カンヌ) PIXTAより作成

 

ここからは、私の友人であるスペインの運用会社GVCのJaumeとSantiagoのレポートをご紹介しながら話を進めます。

18世紀、観光地の定番は「田舎」「山」

<温泉・海水浴>

まずは、近代から20世紀にかけてのヨーロッパでの状況について、温泉と海水浴から始めましょう。

 

18世紀の前半においては、休暇の過ごし方といえば、「田舎に行く」というのが定番でした。春から秋にかけては、温泉や海水浴を楽しみ、おしゃれなスパ(温泉地)や海辺のリゾートで過ごすことが最も贅沢で、その数は徐々に増えていきました。スパならドイツのバリスカン山塊、海水浴ならバルト海、北海、英仏海峡、大西洋のサンセバスチャンが大好評でした(図表2)。

 

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[図表2]バルト海、北海、英仏海峡、大西洋のサンセバスチャン PIXTAより作成

 

<登山・ハイキング・ウィンタースポーツ>

18世紀の後半には、山への思いや愛着が特別のものとなっていきました。アルプス山脈は、ピレネー山脈や他の山脈よりもずっと人気の観光地でしたが、それは夏だけのもので、19世紀に入ってもその傾向は続き、1880年以前は、冬を山で過ごそうという発想を持った観光客は誰もいませんでしたが、今では山、特にアルプスが冬の特別な観光地として認識され、スキーなどのウィンタースポーツを楽しむための場所になりました。それは、1893年に、コナン・ドイル卿がダボスでスキーをしたのも証拠の一つとなりましょう。

 

標高や登頂の難易度によって異なりますが、最高峰の山麓に滞在し、誰もが認めるリゾート地を訪れる観光客の数も増えていきました。皆さんも覚えのある名前でしょうが、シャモニーは、19世紀にツェルマットと同様、登山のメッカとなりました。ほとんどの人はハイキングが目的で、もっぱらモンタンベールやガヴァルニー圏谷(巨大な自然の円形劇場)までの登山を楽しみました。ごく一部の登山家は、6月から10月にかけて山頂に挑んでいったようです。

 

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[図表3]スイス地図(ダボス、ツェルマット)  PIXTAより作成

 

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[図表4]フランス地図(シャモニー、ガヴァルニー・サーカス、モンタンベール) PIXTAより作成

 

<これは「観光」か?>

これまでお話しした「休暇の過ごし方」や「登山やハイキング」を「観光」と呼ぶには、違和感を持たれている方もいらっしゃるのではないでしょうか。では、「観光」を「ツーリズム」と置き換えていただくと、どうでしょうか。田舎の温泉に行く、山に行くなど、旅行の仕方や楽しみ方、それはツーリズムです。さらに言えば、「マイツーリズム」のほうがぴったりの言葉でしょうか。さて、話を戻すとしましょう。

「自転車」「自動車」の登場で休暇の過ごし方が激変

<サイクリングとドライブ>

19世紀半ばの1863年にフランスのサンテ・ティエンヌで開発・製造され、ベロシペードと呼ばれた自転車は、労働者の1年分の給料ほど高価で、富裕層しか乗ることができないほどの嗜好品でした。しかし、この自転車が、休暇の過ごし方を変えていくことになります。

 

19世紀後半の空気入りタイヤを使用した自転車の発明によって、人々は公共交通機関や鉄道のダイヤからようやく解放されることになり、観光のあり方にも革命的な変化がもたらされました。さらに、イギリスで「イギリス・ツーリング・クラブ」が設立された後の1891年には、貴族や上流階級の人々が「フランス・ツーリング・クラブ」が設立され数年のうちに、委員会を通じてあらゆるところに介入する観光勢力となっていきました。

 

自転車の普及と並行して、1891年にガソリン車のパナール・ルヴァツールバッソールが発売されたことをきっかけに、1895年には、会員の半数が貴族で構成されている「フランス自動車クラブ」が設立され、今でいうドライブが徐々に広まっていきました。自転車、さらには自動車の登場によって、旅行者の活動範囲が広がり、夏の観光がより楽しいものになっていったのですが、このような楽しみ方ができるのは、まだ富裕層に限られていました。

 

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[図表5]フランス地図(サンテ・ティエンヌ) PIXTAより作成

アメリカ人によってヨーロッパのビーチ・リゾートが発展

<海水浴の変化>

18世紀から20世紀初頭にかけては、夏には地中海よりもバルト海のような冷たい海に入ることが一般的でした。ところが、1900年頃から海水浴に対する考え方が変化し、次第に暖かい海が好まれるようになっていきました。

 

実際、1925年以前のフランスにおいては、1881年頃のバンドルを皮切りに、ラ・シオタ、イエール・プラージュと、地中海の開発は非常にゆっくりとしたペースで行われました。カンヌでは2、3軒のホテルが夏に開業し、1900年頃には旅行ガイドでの観光地の記載が10ヵ所程度でしたが、1925年には約30ヵ所にまで増えました。しかし、まだ小さなリゾート地でした。

 

1925年からは、ジュアンレパン(地中海沿岸のコート・ダジュールにある人気のリゾート)がリゾート地での成功を導きます。今までこの名前を聞くことはありませんでしたが、数年後にはラ・ピネードが海辺のリゾート地となりました。10軒ほどのホテルがありましたが、中でも250室を有する「ポルヴェンサル」は際立っており、美しいヴィラもあり、何より真新しいカジノがありました。

 

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[図表6]フランス地図・プロヴァンス地方(ラ・シオタ、イエール・プラージュ、ジュアンレパン) PIXTAより作成

 

<ビーチ・リゾートの誕生 ~アメリカ人の影響>

「ロスト・ジェネレーション(失われた世代)」と呼ばれたアメリカ人たちによって見出されたこのジュアンレパンは、3年間(1925年~1927年)で開発されました。この新しいビーチ・リゾートは、ユニークでさまざまな娯楽を提供したため、すぐに観光客を魅了し、アメリカや東洋出身の国際的に著名な芸術家たちは、夜を盛り上げ、豪華なドレスを着た女性たちを眺めては、お祭り騒ぎをしたようです。夜を楽しむ観光客の中には、ギリシャの王様やウィンザー公のような王子、作家、そして多くのハリウッドスターなどの著名人もいました。

 

なぜアメリカ人はこの地を夏のバケーションの目的地に選んだのでしょうか。彼らはコート・ダジュールの華やかさ、同時に人工的でありながらも贅沢なものすべてが好きだったようです。もちろん地中海の気候も彼らに合っていたようです。1920年まで、太平洋地域に住む少数派を除くアメリカ人は、うだるような夏を経験し、さらに、第一次世界大戦後の1918年~1919年には、傷病兵の多くがコート・ダジュールの徴用ホテルに滞在し、地中海の夏なら耐えられると実感していたようです。

「観光」の範囲が広がるとともに、観光が大衆化

<レクリエーション・スポーツ>

アメリカでは、手軽さを特徴とする多くのレクリエーション・スポーツが新たに生み出され、多くの人に支持されました。カリフォルニア州はその普及に努め、すぐにヨーロッパに広まりました。1980年代にはマウンテンバイク、雪山のスノーボード、浜辺のサーフィンが人気となり、ヨーロッパの川では、アメリカ西部のようにカヌー、ラフティング、キャニオニング(川の上流部に位置する渓谷をプレイフィールドとするアウトドアスポーツの一種)が行われるようになり、これを目的とする観光も拡大していきました。

 

<国立公園の誕生>

1878年に米国でイエローストーン国立公園が設立され、1916年に国立公園実施法が成立し、多くの地域が国立公園に指定されたことをきっかけに、自然の光景を見ることもまた観光の目的となっていきました。ヨーロッパでも、1909年にスウェーデンで9つの国立公園が指定されて以来、欧州各国も自国の国立公園や自然保護区を持ちたいと思うようになり、ヨーロッパ全体では300を超える国立公園が指定されることになり、景観を見ることを目的とする観光も広がっていきました。

 

<観光の一般化・大衆化へ>

ヨーロッパの観光は、それだけではありません。ヨーロッパでは、観光地の素晴らしい建造物が数多くあり(一部には明らかに修復が必要なものもあって、いまやその個性と高貴な魅力を維持できておらず、時代遅れかもしれませんが)、様々な歴史が何層にも重なり合うそこには、一言では言い表せないほど、人を惹きつける魅力があり、主要な観光の目的となっています。

 

ヨーロッパの人々は皆、アメリカ人よりも長く、時には5週間にも及ぶ休暇を取っていますが、これが観光の普及を促進させています。ヨーロッパの大半の人はヨーロッパ域内で休暇を過ごします。フランス人、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人、ギリシャ人の多くは、休暇のために自国を離れることはありません。パリ、ローマなどの都市観光は定番で人気ですが、ヨーロッパの人々が欧州域内で休暇を過ごすことが多いという説明の一つになるかもしれません。

 

19世紀に確立されたエリート主義の現れとして築かれたビーチ・リゾートですが、今もなおベルギーのオーストエンデからスペイン北部バスク地方のサンセバスチャン、パリから近い港町ドーヴィルからイタリアのリグーリア、ポルトフィーノといった優雅なリゾート地が残っています。観光地としての田園地帯は、歴史的には地元の旅行者に限定されていましたが、現在ではヨーロッパ以外の国の観光客にまで広がっています。もっとも、その中心は依然としてヨーロッパの人たちです。フランスのペリゴールやガスコーニュ、フランス南部の畑、プロヴァンス地方のドローム、リュベロン、そしてイタリアのトスカーナなどは、イギリス、スイス、ドイツ、ベネルクス諸国の人々に人気の地域です(図表7)。

 

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[図表7]ヨーロッパ地図(ベルギー、イタリア、フランス、スペイン) PIXTAより作成

 

守られた景観、重要な観光資源、そして、世界の文化の中心がロンドンからアメリカに移ったという新しい価値観、すべてが揃って、ヨーロッパの観光事業は急速な発展を遂げました。文化の面で20世紀の世界を支配するアメリカとは、ニューヨークだけでなく、カリフォルニアやフロリダのようなエンターテイメントや娯楽を売りにした州も含まれています。

 

このように、観光の範囲が拡大していくにつれて、観光を楽しむ対象者も徐々に増えていくこととなりました。

 

<地中海の夏>

1960年代の暖かい海の綺麗な砂浜の上で休暇を過ごすというわかりやすいコンセプトは、カリブ海と「海、砂、太陽」に象徴されています。それらは、政府が推進する都市開発計画によって、素早く指定された土地に新しい「ホリデー・コロニー(休暇植民地)」が作られました。スペインのコスタ・ブラバやコスタ・デル・ソルなどの海岸(ビーチ)が作られると、それをまねてすぐに、フランスのラングドック・ルシヨンやコルシカ島東岸、そしてアドリア海沿岸、黒海沿岸(ブルガリア、ルーマニア)などが誕生しました(図表8)。その例はヨーロッパを越えて、チュニジア、トルコ、アラビア湾、そして、熱帯地域にまで広がりました。

 

PIXTAより作成
[図表8]ヨーロッパ地図(コスタ・ブラバ、コスタ・デル・ソル、ラングドック・ルシヨン、コルシカ島東、アドリア海沿岸、黒海沿岸) PIXTAより作成

 

ヨーロッパは、海外に植民地を持つことで、この新しいトレンドの一部を政治的あるいは文化的な影響力を持って維持することに成功しました。スペインのカナリア諸島、ポルトガルのマデイラ島、小アンティル諸島などがその代表例です。

 

<新たな観光形態の登場>

サーマルツーリズムを聞いたことがありますか? それはサーモミネラルウォーターバス、サーモミネラルウォーターで湿らせた空気の呼吸、サーモミネラルウォーターの飲用で、この水での泥風呂、理学療法、運動、リハビリテーション、食事療法、心理療法と一緒にサーモミネラルウォーターでリラックスして楽しむことを目的とした観光の一形態です。

 

このように、「観光」の選択肢が増えていったことで、ヨーロッパは特別な場所であるという誇りをもっているようです。

後編に向けて

前編の最後に一言。私達は、今コロナ禍から遠ざかろうとしており、久しぶりに観光を楽しまれる人も増えてきたように感じられます。外出を控えるという苦しい経験をしたがゆえ、楽しみも倍加してきているのでしょう。新しい楽しみ方は何か? 次回の後編と併せてお読みいただき、「自分の観光」あるいは「自分の旅行」をイメージしていただければと思います。

 

次回は、「永遠の目的地としてのヨーロッパ、そして今」、併せて観光データについてお話ししてみたいと思います。

 

 

中川 則彦

生保、信託銀行、外資系運用機関、公的年金において、30年以上にわたり資産運用業務に従事。1995年より、株式ファンドマネージャーとして年金基金や投資信託等の運用に携わる。市場サイクル分析と個別企業の競争優位分析を駆使して、成長株を割安なときに仕込むGARP(Growth At Reasonable Price)スタイルで、外国株式運用を行う。

慶応義塾大学経済学部卒業、マンチェスター・ビジネス・スクールMBAファイナンス修了、CFA協会認定証券アナリスト。「世界ツーリズム株式ファンド」を運用。

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