歴史の証言
では、この終戦直後の激しいインフレは、どうして起きたのでしょうか。
終戦直後のインフレ処理を実際に経験した大蔵官僚の証言を聴いてみることにしましょう。その大蔵官僚とは、後に、高度成長を実現した池田勇人内閣のブレーンとして活躍した下村治です。
終戦直後の激しいインフレの原因について、下村は、次の3つを挙げています。
第一は、戦争による「異常な生産力破壊という状況」にあったことです。
これについては、日本経済新聞も、「戦争による生産設備の破壊なども重なり、戦後にはハイパーインフレが生じる」と書いています。
第二は、当時の税務当局の徴税力に欠陥があったことです。
これについては、通貨が「お金」として受け入れられているのは、それが政府の納税手段だからです。すなわち、通貨の価値を支えているのは、国家の徴税権力だということです。したがって、国家の徴税権力が弱ければ、通貨の価値も暴落し、激しいインフレになる。終戦後の激しいインフレは、それを証明していると言えるでしょう。
第三は、当時は労働組合の政治力がきわめて強く、賃金上昇圧力が過大であったため、というものです。
この3つの原因のうち、最大のものは、戦争による「異常な生産力破壊という状況」がもたらした供給不足であると下村は判断しています。つまり、終戦直後のインフレは、原材料費等のコストの上昇が原因で起こる「コストプッシュ・インフレ」だということです(【図表】の②参照)。
インフレというのは、需要と供給のギャップによって起きます。したがって、戦争で破壊されて乏しくなった供給力に合わせて、需要も縮小すれば、需要と供給のギャップがなくなるので、理論上は、インフレは収まります。
しかし、需要を縮小するということは、消費や投資を減らすということですから、生活水準を著しく低下させることになります。要するに、インフレを収めるために、国民を貧困化させようというやり方ですから、これは、本末転倒と言うべきでしょう。
そこで、下村は、「実際の生活水準を落とすのではなく、生産力を高めて生活水準に適合させていくというのが現実的な方策」であると考えました。
つまり、低下した供給に合わせて需要を減らすのではなく、需要に合わせて供給を増やすという考え方です。これであれば、需要と供給のギャップがなくなってインフレが収まるだけでなく、供給力が向上するので、経済は成長し、国民はむしろ豊かになります。
これについては、当時、大蔵大臣であった石橋湛山も同じ考えでした。
インフレの原因は需要過多ではなく、供給過少にあると診断した石橋蔵相は、政府の資金を生産部門に投入して、供給力を増強しようとしたのです。
この石橋湛山の積極的な財政金融政策について、下村は、需要増による一時的なインフレの悪化という弊害はあるものの、生産力を強化するものであるとして、これを支持したのでした。
他方で、下村は、緊縮財政によってインフレを克服しようというジョセフ・ドッジの手法に対しては、否定的でした。言うまでもなく、ドッジの考え方は、緊縮財政によって需要を減らして供給とのギャップをなくす、つまり、国民の生活を犠牲にしてインフレを収束させようとするものだからです。それに、そもそも、ドッジが着任する以前に、すでにインフレは収束に向かっていたので、緊縮財政は必要なかったのです。
この終戦後のインフレ処理の経験から、下村が得た「歴史の教訓」とは、インフレというものは「どうにもならないんじゃなくて、おさめるための努力を本気でやっておれば、それはうまくいく」というものであり、そして「生産増強以外にインフレ収束の途はない」というものでした。
つまり、歳出削減や増税によって需要を削減するのではなく、むしろ積極財政によって供給力を増強し、実体経済の需給不均衡を解消するのが、正しいコストプッシュ・インフレ対策だということです。
これは昨今の政策課題である「防衛力強化」「少子化対策」にも同じことがあてはまります。「需要」があるならば、歳出削減や増税ではなく、国債発行を躊躇せず行い、積極財政によって「供給力」を強化するのが、正しいあり方だということに帰着するのです。
中野 剛志
評論家