デフレを放置してしまった日本の末路
永濱:日本にあった生産拠点がどんどん海外に流出してしまったのです。
先ほど、「生産拠点の国内回帰」という言葉を使いましたが、そもそも生産拠点の多くは日本にあったんですよ。ところが、円高が長く続いたため、日本で作っても製造業が儲からなくなってしまいました。だから、成長期待もあり、労働力が安い海外に拠点を移したのです。
やすお:そういえば、うちの実家の近くでも、大企業の工場がなくなったりしていました。うちの会社も海外に工場があります。
永濱:確かに、一企業の経営を考えたら、海外に拠点を移すのは合理的です。しかし、日本経済全体から見ると大きなデメリットがありました。
やすお:デメリットとは?
永濱:国内の産業空洞化を招いてしまい、円安になっても部品などの輸出が増えにくくなってしまったのです。
円安になると輸出が増えて円高に調整されていくはずなのですが、それが起きにくくなってしまったのですね。
やすお:それは困りますね。円安の意味がない。
永濱:さらに、今は半導体などの部品が不足していることで、自動車などを生産したくてもできないという現状があります。これで円安の追い風が吹きにくい状況になっています。
やすお:なるほど…。これはキツい。
永濱:それに加えて、インバウンド需要に大きく左右される事業者が増えていたこともあります。
円安になると外国人観光客が来日しやすくなるので、インバウンドの売上が拡大します。
実際、コロナ禍前は訪日外国人観光客の数が、毎年、過去最高記録を更新していましたね。宿泊施設や飲食店、土産物屋など、恩恵を受けていた事業者は多かったと思います。
やすお:そういえばそうでしたね。最近、外国人観光客を見なくなっていたので、すっかり忘れていました。
永濱:ところが、新型コロナウイルスの影響拡大で外国人観光客が来なくなり、インバウンドがほとんど伸びなくなりました。
輸出やインバウンドが減れば、円の需要が少なくなります。だから、円高に調整されるどころか、ますます円安が進んでしまったわけです。
やすお:なるほど。構造的に円安の恩恵が受けられなくなっていたわけか…。
永濱:結果、今は円安の弊害ばかりが目立っています。
もっと根本的な問題を言えば、「低所得・低物価・低金利・低成長」の4低が原因です。
日本経済はバブル崩壊後の30年の間ほとんど成長していません。
「ジャパニフィケーション」という言葉をご存じでしょうか? これは、海外のエコノミストがデフレに悩み続ける日本経済を指す言葉です。デフレを放置し、今に至る――。
これでは、いつまで経っても給料が上がらないままです。
永濱 利廣
第一生命経済研究所
首席エコノミスト