「落ち込み」を感じるケースの精神分析
誰でも嫌なことやショックなことなどネガティブなストレスがかかると、一時的に気持ちが落ち込むもので、これは自然な感情です。このように原因が分かっていて落ち込むケースもあれば、原因が分からずに落ち込んでいるケースもあります。
後者の場合は触れたくない抑圧されたものが原因の可能性があり、それを探るのは本人にとって、かえってつらくなることかもしれません。ですから必ずしも誰にでも分析的な探求的アプローチをおすすめするわけではありません。しかし時にはそれでも隠された真実に目を向けざるを得ない場合もあるのです。
【CASE】頑張っているのに認めてもらえない
人に認められるとやりがいを感じ、モチベーションも上がって、ますます頑張れるという人は多いでしょう。逆になかなか認められないと気持ちが挫くじけてしまいます。
Xさん(仮名)の場合も、希望する会社に就職して、やる気満々でした。新入社員のころから先輩の仕事をよく見て覚えが早く、本人も勉強熱心でしたので、3年目を迎えるころには自分で企画を考えるなど積極的に提案するまでに成長していました。
しかし、どう見ても先輩より自分の企画のほうが優れているのに、上司は一向に評価してくれませんでした。そのため、上司が無能なのだと見切りをつけて退職し、新天地で頑張るようになったのです。
けれども、新たな会社でも、残業をして頑張っても評価してもらえず、しだいにやる気がなくなり「こんなに頑張っているのに、どうして自分は認めてもらえないのか」と落ち込み、精神的に追い詰められていきました。
考えてみるとXさんの半生はそういうことの繰り返しでした。中学受験では勉強を頑張ったのに第一志望に合格できず、高校生のころに野球部で頑張っていたのに最後までレギュラーになれませんでした。なんでいつも自分はこうなんだろうと思うと悔しくて眠れなくなるのでした。
精神分析でも「同じ状況」が再現された
こうした経緯で私のもとにやって来たXさんは、自分を理解してほしいと一生懸命に話してくれました。それを私は「そうですか」と相槌を打ちながら聞いていましたが、私の反応が薄いことに彼は苛立つようになったのです。
つまり、上司が評価してくれないという会社の状況が、今目の前で再現されていたわけです。自分が一生懸命に話しているのだから、先生はもっと私を優しく労わってくれても良いのではないかとXさんは感じていました。
そのとき私自身も、Xさんは頑張っているようだけれど、本人が言うほどにはたいしたことない、という気分にさせられていました。一生懸命なのは分かるのですが、どうも空回りしているように感じた私は、Xさんを低評価する方向に突き動かされていたのです。
このようなことは、精神分析的な臨床のなかでは実際にたびたび起こります。問題になっている状況が治療関係のなかで繰り返され、再現されるのです。いつの間にか治療者の気持ちのうえでもその役割の一端を担ってしまっているということがあります。
そこでXさんに現状を伝えると、本人も「その通りですね」と驚きました。そして、話を続けていくうちに、自分を評価してくれないと強気な発言をする一方で、いくら頑張っても自分が全然ダメだから評価されないのだというように自己評価が低い面もあることが分かりました。
母親から褒められたり、慰められた経験がなかった
子どものころの話を聞いてみると、母親は勉強に関しては厳しく、例えば苦手な教科を頑張って勉強し、テストで80点を取って本人は満足しているのに「なんで100点が取れないの?」と怒られたといいます。第一志望の高校に落ちて落胆しているときも「大学受験は失敗しないように頑張りなさい」とプレッシャーをかけられるなど、思い返すと母親から一度も褒められたり慰められたりした経験がないと話します。
このような体験によってXさんは自己評価を十分に高めていくことが難しかったのかもしれません。それでも大学受験はうまくいき、希望した企業に入りました。これで過去の劣等感は乗り越えたと思ったのですが、入社後の状況は再び自信喪失になることばかりだったのです。
庄司剛
北参道こころの診療所 院長