【CASE】人から頼まれると断れない
Xさん(仮名)は気が弱いのか、人が良いのか、頼まれると断れない性分です。次は絶対に断ろうと心に決めていても、いざとなると最終的には引き受けてしまいます。
そんなふうになんでも自分が背負い込んでしまうため、ある日とうとうオーバーワークになって体を壊し、休職する羽目になりました。休んでいる間も仕事が気になり、「みんなが困っているに違いない」とか「迷惑者と思われているに違いない」と不安になったり、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と疑問に思ったりして、ベッドの中で考え続けていました。しかし、自分が納得できる答えを見つけることができず、悶々としていました。
断ったら嫌われるという「怯え」
Xさんの話を聞いていると、言葉のはしばしに「~しなければいけない」とか「自分がやるしかない」という言葉が頻繁に出てきます。そして「断ったりしたら、みんなに嫌われてしまう」と感じていたのです。
どうやら彼は、人から良く思われたい、嫌われたくないという思いが強く、不安を通り越して、いつも怯えるような気持ちで周りの反応を気にしているようでした。そのため、頼られると人から必要とされていることに喜びを感じ、安心しているところがありました。
なぜ嫌われるのが怖いのか、Xさんの心をひも解いていくと、根本には人を信じることができない気持ちがありました。
幼少期に母親が家を出ていき、「捨てられた」と感じた
Xさんが7歳のとき、母親に好きな男性ができて家を出て行ってしまったそうです。それ以来、父親と妹と3人で暮らすようになり、母親を恋しがって泣き続ける妹を慰めながら面倒を見たり、父親を助けて家事をしていたといいます。最も信じられ、安心できる存在であるはずの母親に捨てられたことで、Xさんは裏切られたという気持ちが強くなり、人を信じることができなくなっていたのです。
また、自分たちが良い子でなかったから母親に捨てられたとも感じており、人に嫌われたくない、良い人に思われたいといった気持ちが強過ぎて、頼みごとをされると断れなくなっていたことが分かってきました。
ですから休職を勧めたときにも強い抵抗を示しましたし、休職したあとも仕事の負荷やストレスからは解放されたはずなのに逆にひどく落ち込んでしまいました。体を壊すほど人に頼られていることで自分の存在価値を見出していたのに、休職しても誰も困ることなく仕事が回っていることを知り、やはり自分の存在価値がないように感じられてしまったのです。自分は必要ない、上司も同僚もきっと自分がいないほうがやりやすいと思って、見捨てられてしまったと考え始めました。
話しているとXさんには、必要以上に相手の機嫌を取ろうとするところが見受けられました。診察のなかでも、本来Xさんの診察であるにもかかわらず私が喜びそうな話をしたり、「良い患者」「期待される患者」であろうとするような様子があり、常に私の顔色を見るようにして話します。そのため、最初のうちはなかなか本心が見えず、話が一向に進展しません。私がこの傾向を指摘するとようやく、子どものころに母親が出て行ったというできごとを話し出したのです。彼の自己評価の低さと怯えの背後には深い人間不信があったといえるでしょう。
Xさんが「頼まれたら断れない性分」を克服するには?
母親が出て行ってから、父親は家庭のことと仕事で忙しくしていました。そんな状態では父親も嫌気がさしていなくなってしまうのではないかと怯え、自分ができることは手伝って良い子になるように努力したといいます。ですから、父親に甘えることもできず、愛されているという実感ももてなかったそうです。
同じように、Xさんはいつも人のために一生懸命に働き、嫌われないように相手の機嫌をうかがい、頼られることでなんとか自分の存在価値を確かめていたため、結局、そうしていないと相手にとって自分は価値のない存在であるということを確かめ続けている結果になってしまっていました。でもそれが分かったとしても、人の顔色をうかがって気に入られるように行動するという習慣はなかなか捨て去ることは困難です。長期的にはそのあたりが課題になると思われました。
庄司剛
北参道こころの診療所 院長