(※写真はイメージです/PIXTA)

「我慢」は重要ですが、「我慢することが良いことであり、大人である」と単純に言い切ることはできません。心身のバランスを崩すほどにただ我慢するのではなく、自分が耐えられるストレスの限界を知っておくことも必要です。精神科医・庄司剛医師が解説します。

そもそも“ストレス”とは何か?

「人間関係のストレスで気分が落ち込む」とか「仕事のストレスで眠れない」などと、私たちは“ストレス”という言葉を日常的に使っています。体調を崩して病院へ行ったときも、検査で異常が見当たらないときには「ストレスですね」と医者に言われ、本人もなんとなく納得してしまいます。なぜなら、生きていればストレスはいろいろなところでかかっているため、心当たりのない人のほうが少ないからです。

 

そもそもストレスとはなにかというと、生体に影響を与える外部からの負荷のことです。分かりやすくゴムボールにたとえるなら、ゴムボールを指で押す力をストレッサー(ストレス)といい、ストレッサーによってゴムボールがへこんだ歪みの状態をストレス反応といいます。つまり、ゴムボールを押したときのへこみ具合が、心身にかかるストレスの程度を表しているということです。

 

ストレスというと通常は精神的なものをいいますが、痛みや痒みといった身体的なストレスや、暑さ寒さ、騒音、花粉やアレルギー物質などの生理的ストレスなど、いろいろあります。

「ストレスの限界を認め、受け入れること」は難しい

これらのストレスに対して心身が健康であれば、ある程度はもちこたえて自然に回復できます。しかし、強いストレスを感じたり、長期にわたってストレスにさらされたりすると、心身へのダメージは大きくなります。心も身体も柔軟性を失って自力では回復できなくなります。

 

同じストレス(外的なストレッサー)を受けても受け取り方には個人差があります。ある人には強い影響(歪み)を与え、別の人にはそれほど影響を与えないかもしれません。これは得意不得意、ストレス対処の方法、気分の状態、不安の強さなどさまざまな要素が関わっています。また、どんなストレスの影響を強く受けるか、どんなストレスには強いかも人それぞれ異なっています。

 

■「ストレスで心を病んでいる人」の共通点

ただ、私が多くの患者さんに会っていて、ストレスで心を病んでいる人には、共通する考え方の傾向のようなものがあるように感じることがあります。その一つに、期待や要求水準の高さがあります。会社や上司など周囲からの期待や要求だけではなく、自分自身に対する期待が非常に高いのです。

 

例えば、「私はもっと頑張らないといけない、このぐらいのストレスは耐えられるはずだ。つらいからといって逃げてしまっては成長できない」などという考え方です。このような人は、ストレスが本人のキャパシティをオーバーしていることを示す不眠、頭痛、腹痛、憂うつなど心のSOSともいうべき症状が現れても、休んだり誰かに助けを求めたりしようとはしません。倒れる寸前のギリギリの状態になるまで自分の症状に気づかないふりをしたり、たいしたことはない、誰にでもあること、と片付けようとしたりします。

 

またはストレスとは関係ない、純粋な体の病気だと思い込もうとするかもしれません。私が思うその原因の一つは、彼らが、自分自身の期待に応えられていないことを無意識に「負けだ」とみなしているからではないかということです。自らの期待あるいは周囲の期待通り頑張っていることが普通で当然であり、それが「できない」ことを認めるのは「負け」ということです。

 

限界を認め、受け入れることは想像するより難しいことです。自分の自分に対する期待をあきらめることになり、がっかりする痛みを経験しなくてはならないからです。しかし、自分の限界を否定し続ける限り、現状を変えることはできません。この痛みを克服して初めて、困難な状況に対応するためのより現実的な方法を考え始めることができるのです。

私たちの心に備わる「防衛機能」

私たちは、常になんらかのストレスにさらされていますし、心が傷つけられるリスクもそこかしこに存在しています。

 

私たちはそのようなリスクからどのように心を守っているのでしょうか。私たちの心には決定的に傷ついたり壊れてバラバラになってしまったりしないように、心を守る防衛機能が備わっています。

 

この防衛機能は、生まれつきの素質やこれまでの育ってきた環境などによってつくられるため、人によって強度も種類もその質もそれぞれまったく違います。一人で過ごすのは苦じゃないけれど、アドバイスを受けると傷つくなど、人によって強い部分と弱い部分があったりして、均一でないこともあります。

 

この機能による防衛方法には、未熟なものから成熟したものまでいくつか種類があり、心の発達具合や性格などによって使用するものが違ったり、偏りが出てきます。例えば、認めたくないできごとや考えは無意識に見ないようにしたり目をつぶってしまったりしまいがちです。これは誰にでも多かれ少なかれあるものです。

 

しかし、自分に自信がもてず仕事に対して不安の強い人がそのような状態になると、逆に威張り散らして後輩など立場の弱い人を攻撃することで自分を守るという防衛を取ることもあります。子どもであれば仕方のないことですが、大人がその方法を取るのは非常に未熟といわざるを得ません。

 

このほかにも心の防衛には、世界を「良い」と「悪い」に分断するような方法、受け入れたくない現実から目を背ける否認や抑圧などさまざまな方法があります。「あの人はどうも苦手で好きになれない」と思っているのを、「あの人が私のことを嫌っているのだ」と思い込むとか、さらに相手を嫌っている反動で気持ちとは逆に相手を褒めるなど正反対の態度や行動を取るようなこともあります。

 

精神分析学の創始者であるジークムント・フロイトは、最も成熟し望ましい防衛は「昇華」だと言いました。これはスポーツや芸術、学問などに葛藤を表現することです。例えば国と国との対抗意識は、ワールドカップやオリンピックなどで競い合うことに昇華できれば、実際の戦争には至らずに健全な形で表現できるかもしれません。小説や映画、その他絵画や彫刻、音楽などの芸術は、芸術家、表現者の感じている内的な葛藤や社会の矛盾に対する憤りなどを作品の形に表現します。

 

このように防衛はさまざまな形で無意識に心を守っているわけですが、同時に現実から目を背ける手段でもあります。防衛を強化するような精神療法を「支持的精神療法」と呼んだりしますが、それに対して精神分析的な理解というのは、こういった防衛を少しずつ丁寧に取り除き、つらい現実に向き合っていく作業です。それがたとえつらくとも、現実である限り向き合い受け入れ、理解していくことが精神分析の目指すところです。

 

 

庄司 剛

北参道こころの診療所 院長

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    ※本連載は、庄司剛氏の著書『知らない自分に出会う精神分析の世界』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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    庄司 剛

    幻冬舎メディアコンサルティング

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