外資系製薬会社の退職を決意する
定年前、私は定年後について全く考えたり準備をしていませんでした。どこかで定年を意識することがあっても、多分何とかなると思っていました。
当然のように試練が待っていました。現職時代には味わわなかった苦労も、のしかかってきたのです。
しかしそんな私でも、今は自分が理想とする働き方が実現できるようになりました。まずはその一部始終を見ていただき、参考にしていただければと思います。
▼突然の早期退職募集
会社から突然、早期退職の募集が舞い込んできました。7年前、私が57歳の時です。当時、会社はトラブルを抱えており、その対応に追われていたため、何か起こるかもしれないとの噂はありましたが、まさか早期退職の募集があるとは思っておらず、たいへん驚きました。
私が直接打診されたというわけではなく、あくまでも全社員に向けての募集ではありましたが、そこから一気に定年が私の脳裏を駆け巡りだしました。
外資系製薬会社に勤めて34年、この時まで定年後の準備は何もしていませんでした。定年まであと3年に迫っていましたが、むしろ考えることを避けていました。他人事のように思っていましたが、この募集から「あと3年」ということを次第に意識するようになりました。
実は、私は子どもが小学校低学年の時にシングルファーザーになり、一人で仕事と子育て、家事をしていました。子どもが熱を出したときにすぐ駆けつけられるように、通勤に2時間かかる本社勤務から、自宅近くの病院を回る学術情報の営業に変えてもらいました。
若い頃はともかく、50歳を過ぎてからは体力の衰えもあり、ハードな仕事をこなすことが難しくなってきていて、かなり過酷でした。今回の早期退職募集で、この環境から抜け出すことができる、そうした解放感を求めていた頃でもありました。また今までと違う新しい環境に自分を置くこともできる、何か新しいことが始まるかもしれない、そんな期待感もありました。
それからは定年が頭を離れません。仕事をしながらも、どうしよう、どうしようと考える毎日です。会社への申込期限は一カ月。それまでに会社のサイト上で申し込みを済まさなくてはいけません。
内容が内容なので、会社の人に相談することも躊躇しました。仕事はハードとはいえ、それなりの成果は出していたので、周りの人も私が辞めるとは思ってもいません。