職場という視点から、日本の大学と一般企業を比較すると、組織運営のやり方、ルール、なにより常識が大きく異なっています。一般企業の従業員から(とくに文系の)大学教員に職業を変えた人は、その違いに驚くことになるでしょう。メガバンカーから大学教授となり、現在は経済評論家として活躍する塚崎公義氏が、職場としての一般企業と日本の大学を比較しながら、実情をユーモラスに紹介します。※本記事は『大学の常識は、世間の非常識』(祥伝社)の内容の一部を紹介したものです。

企業から大学に転職すると、そこは別世界だった

企業から大学に転職すると、「天国のような職場だ」と感じます。少なくとも私はそうでした。その最大の要因は「上司がいない」ことにあるでしょう。

 

学部長や学長は、名目上はともかく、実質的には上司ではありません。学部は商店街、学部長はその世話係、といったイメージでしょうか。あるいは一国一城の主たちが同盟を結び、交代制で盟主を務めているのが学部長、ということかもしれません。

 

いずれにしても大学は、教授たちの共同体です。共同体の構成員たちが不満を持たずに組織運営に協力してくれるよう、学部内をとりまとめるのが学部長であって、指示命令系統というわけではありません。

 

大した権限が無いのに多忙なので、なりたがる人は多くありません。そこで、学部長選挙は立候補制ではなく、全員が候補者ということになっています。誰も立候補しないと困りますし、なってほしい人が立候補せず、なってほしくない人だけが立候補すると、さらに困りますからね(笑)。

 

学長についても、学部の自治が大幅に認められているので、法律上はともかく、実質的には学部を支配している支配者という感じではありません。

 

ただし、大学によってはワンマン理事長が権力を一手に掌握している所もあるようです。幸い筆者はそうした所の経験がないのでわかりませんが。

大学教授は拘束時間が短いうえ、ノルマも最小限

大学教授は「やらなければならないこと」が少ししかありません。もちろん、講義をしたり会議に出たり入学試験の監督をしたり、それなりに仕事はありますが、それほど長時間拘束されるわけではありません。

 

なにより気楽なのは、「自動車を3台売ってこい」といったノルマがないので、相手次第でノルマが達成できるか否かが決まる、といった不確定要素が少ないことです。

 

最低限のノルマさえこなせば、あとは自分で研究テーマを選んで自由に研究することができます。さらに素晴らしいのは、研究しなくても簡単にはクビになったりしないことです。

 

企業であれば、仕事をしなければ出世競争に響きますが、大学教授になってしまえば、出世競争は終了ですから、そうしたプレッシャーもないわけです。

 

それでも、多くの大学教授は真面目に研究し、論文を書いたり学会発表をしたりしています。根が真面目な人が多いのでしょう。素晴らしいことです。企業人であれば、上司がいなくてノルマが楽なら必死に働く人は多くないでしょうから。

大学教授の出世競争は、企業の出世競争とは「別もの」

大学教授になるには、講師から准教授、教授と出世する必要がありますし、そのためには論文を書いたりする必要がありますから、それなりに大変です。

 

そうはいっても、企業の出世競争とはまったく異なります。企業はピラミッド型の組織ですから、全員が部長や重役になれるわけではありませんし、同期に1年遅れれば到達できる最終ポストも限定されるので、大変なプレッシャーがありますが、大学教員は真面目に研究していれば、多くの場合教授になれるからです。

 

大学は共同体ですから、「おたがいさま」です。お互いに干渉せず、お互いに「そこそこ真面目にやっていれば教授にする」という暗黙の了解で動いているわけですね。どんなものにも例外はありますが。

 

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大学の常識は、世間の非常識

大学の常識は、世間の非常識

塚崎 公義

祥伝社

「一国一城の主」である教授は、自由で、楽しくて、天国のような職場――。しかし、そんな「恵まれた職場」である大学にも、違和感はありました。 「大学の常識は、世間の非常識」なのではないだろうか。どうしたら日本の大…

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