懲罰的円高から恩典的円安の時代へ
日本の競争力を根底的に破壊した懲罰的円高の時代ははっきりと終わり、日本に恩典を与える実力以上の円安の時代が始まっている。
何が懲罰的で何が恩典的かは、購買力平価(=円の実力)と実際の為替レートとの倍率で観察できる。図表2に見るように日本円は1980年代後半から2001年、および2009~2013年にかけて購買力平価をピーク時には100%、平均でも3割以上も上回る懲罰的円高に見舞われ、日本の競争力は著しく劣化し貿易黒字はあっという間に消えた。
ハイテク産業に死亡宣告を与えた“白川日銀”
特にリーマンショック後の2008~2012年の超円高は、すでに困難な状況にあったハイテク産業(半導体・液晶・TV・携帯電話・PCなど)を破たんに追い込んだ。
2011年3月東日本大震災時の1ドル80円台突破に際して10年振りのG7協調介入がなされたのに、白川総裁当時の日銀の消極的金融政策のためにその後2年間にわたって(黒田日銀総裁登場まで)超円高が是正されず、2012年3月には日本産業の宝ともいえた最先端半導体企業エルピーダメモリが破たんし、マイクロンテクノロジーに買収された。また最後の力を振り絞って投資されたシャープの液晶工場も挫折した。
このようにハイテク敗戦は産業・雇用・国益音痴の金融政策の敗戦そのものであった。図表3に見るように過去6回実施されたG7の協調介入はすべて直ちに極端水準にあった為替を大転換させたが、2011年だけはそれが起きなかった。白川日銀の間違った金融政策が日本の産業と国益に与えた被害は甚大であったと言える。
当時、韓国ウォンはリーマンショック前に比べて3割低下していたのに対して日本円は3割の上昇となり、2008年から2012年にかけて韓国ウォンは日本円比5割弱の減価となった(図表4参照)。
政府の支援もあり既に十分に産業基盤と競争力を整えていた韓国企業により日本企業はなぎ倒されることとなった。韓国が未だ参入していなかった半導体製造装置、半導体材料、電子部品などを除き日本のハイテク産業のコア部分は瓦解した。