性格を理解することの重要性を実感した体験
私がエニアグラムを知ったのは、たまたま知人にエニアグラムの紹介者がいたことがきっかけでしたが、その有効性を実感したのは、私自身の二つの体験によります。人生鳥瞰図から話は逸れますが、エニアグラムの面白さを知っていただくために紹介します。
一つは、エニアグラムを使って、私自身を分析してみると、タイプ3の「達成する人」
適職としては、事業者、弁護士、金融関係者、広報・宣伝、アナウンサー、俳優、社会奉仕、コンピューター関係者、教師、保健厚生従事者などがあがります。
小学生時代、私は巨人軍の長嶋選手のファンでした。ラジオ放送やテレビ放送の野球中継に夢中になったことから、私の最初のなりたい職業はアナウンサーでした。よく、「打った! 打った! 長嶋、打った!」などとアナウンサーの真似をして、家族を笑わせたものです。テレビのアナウンサーになったら、母親が毎日のようにテレビで息子の顔が見られるから、親孝行ができるとも、子ども心に思っていました。
中学生になって、憧れの職業は新聞記者に変わりました。高校時代には、『ある弁護士の生涯』という、平和主義者で知られた人権派の弁護士、布施辰治の生涯を描いた岩波新書を読んで、弁護士になって貧しい人を救おうと考え、法学部に入学しました。
大学に入り、探検部の門を叩いきました。就職は海外を〝探検〞する仕事ができるような会社に入りたいと、日本航空に入社しました。
その会社では、労務、広報、経営企画などの部門に籍を置き、四七歳で大学教授へ転じます。こうやって振り返ってみると、アナウンサー、弁護士に憧れ、会社では広報マンを務め、教師になるという、タイプ3の適職に沿った流れになっているのがわかります。
何の脈絡もない、出たとこ勝負の支離滅裂な人生と思っていたのですが、エニアグラムの適職の範囲のなかで生きてきたことを発見して、驚いたものでした。
もう一つは、家族のそれぞれの性格を分析してみたことでした。
私には、妻と娘一人、息子一人がいます。一時期、わが家は家族で顔をつきあわせると、ケンカばかりしているような状態でした。家族なのに、どうしてこうなるんだろう。親として残念だったし、妻や子どもたちも、これではいけないと思っていたでしょう。
でも、なかなか思うようにはならず、顔を合わせると、またギクシャクする。そんなとき、エニアグラムに出合いました。
なんか面白そうだから、みんなでちょっとやってみようか。幸いにも家族全員が興味を持ち、チェックリストに答えてみることになったのです。
妻は、チェックに答える前は、自分ではタイプ2の「助ける人」だと思い込んでいましたが、結果は、タイプ7の「熱中する人」でした。多様な人生を求める冒険者タイプです。だから、私が日航の社員から大学教授へ転じ、東京から仙台に拠点を移すことにも、同意してくれたのかもしれません。ちなみに、結婚前はタイプ7の適職のなかの一つ、キャビンアテンダントを務めていました。
娘はタイプ2の「助ける人」、息子はタイプ5の「調べる人」でした。
このように、それぞれの性格はかなり違っていました。
妻は楽しいことが好きで、いつも旅行の計画を立てて、ワクワクしていました。その旅行の計画が流れてしまったときの落ち込みようも、また大きいものがありました。
娘は人助けをすることを生きがいに感じていて、自分のことを放っておいても、人を助けに行くところがありました。自分の部屋よりも、人の部屋をせっせと掃除したりもする。その娘は、その後、タイプ2の適職の一つである看護師になりました。
息子はもの静かで、人付き合いが苦手でした。人やものを観察して、シミュレーションをしてから行動に移すところがありました。
私の性格はいま述べたように、タイプ3の「達成する人」です。いつも目的意識を持って、自覚的に生きようとしている。そうした面は自分では長所と思っていますが、ときおり自慢げな態度が出てしまいます。
しかし、エニアグラムによって、自分の性格タイプを知って以降、その欠点を以前よりは少し抑えることができるようになったと自分では思っています。
それぞれの性格タイプを知ってからは、子どもたちへの接し方も変わっていきました。息子はタイプ5で、いまはじっくり考えているところだから、ここはせき立てずにしばらく様子を見よう。娘はまた自分のことは放っておいて、友だちのことを親身に考えているようだから、その気持ちを尊重してやろう。
こうして、わが家の家族関係は改善されていきました。これはエニアグラムの成果にほかなりませんでした。
エニアグラムの結果を参考にしながら、【図1】「自分像シート」の性格を書く欄に、自分の性格の特徴を三つ程度、書き出してみましょう。
久恒 啓一
多摩大学名誉教授・宮城大学名誉教