手間のかかる「社会保険料方式」が維持される理由
「少子高齢化」と低成長の経済のもと、どう対策を行ってもうまく機能しない現行の年金制度に、なぜこれほどまでに日本政府はしがみつく必要があるのだろう。
実は公的年金制度には別の顔があるのだ。まず、年金の徴収方法について考えてほしい。国民全員が年金保険料を支払うなら、基礎年金はわざわざ社会保険料として政府が別途徴収する必要はない。消費税でも所得税でもよいから、税金で納めればすむ話だ。税金に年金保険料分を上乗せし、徴収した税金から年金を給付すればいい。
現に、基礎年金の半分は税金から支払われている。それを全部、税金で賄うことも可能なはずだろう。だが実際は、年金の保険料は、税金の支払いとは別に政府(日本年金機構)に納めている。
日本は当初から、年金保険料の支払いは社会保険料方式だった。社会保険料方式による保険料の徴収は大変で、政府の事務的負担は膨大である。年金保険料の支払いの記録や未納の確認、保険料支払いの催促等々。税方式なら、そうした事務的負担は一切ない。昨今の年金の記録漏れの問題などは発生しない。
もっとも、税方式にもデメリットはある。保険料の納付と年金の給付の対応があいまいになるリスクだ。だが、それを踏まえても、社会保険方式のデメリットのほうがはるかに深刻ではないだろうか。事実、スウェーデンなど欧米諸国の基礎年金は、全額税方式である。
年金積立金は国会のチェックが入りにくい「第2の国家予算」高度成長期は、現役世代が高齢者世代よりもはるかに多く、現役世代が納めた保険料は、高齢者世代の年金給付を賄ったあとにも余剰が出る。この余剰金は積み立てられ、年金積立金となる。この年金積立金と郵便貯金が「第2の国家予算」の原資となり、半ば政治家・官僚の裁量で使われてきた。
それでも、道路や橋の社会的インフラの整備が急務だった高度成長期は、年金資金は有効に使われた。しかし年金資金は、社会インフラが整備されたあとでも、政治家や官僚の裁量で、相変わらず道路や橋のインフラに使われ続けた。
1960年頃に完成した「国民皆年金」の年金資金を預かっていたのは、旧厚生省である。旧厚生省は、国民年金、厚生年金の保険料を旧大蔵省資金運用部に預託する。旧大蔵省資金運用部が、保険料の積立資金を運用してきた。
財政投融資の資金は「本予算」に匹敵するほど巨額
年金のお金が「税金」として徴収されるなら、税の支出(歳出)には国会のチェックが入る。しかし、社会保険料方式で、税とは別に徴収される年金資金の運用は、国会のチェックが十分に入りにくい。年金資金が財政投融資として大蔵省の資金運用部に預託されると、その資金は政治家や官僚の裁量で配分ができたのである。
社会保険方式による保険料の徴収は、政治家や官僚にとっては、非常に都合のよいシステムなのだ。
「第2の国家予算」といわれる財政投融資の資金は、本予算に匹敵するほどの大きな額である。そのお金の運用が、国民の目の届きにくいところで、政治家や官僚の裁量によって運用される。
財政投融資の無駄遣いは、つとに批判されてきたところだ。無駄な道路や橋の建設、箱物、官僚の天下りになる財団・公益法人の維持のために年金資金が投入されてきた面もある。こうしたことは、税方式ではなく、社会保険方式の保険料支払いだからこそ可能なのである。
財政投融資の問題、すなわち年金資金の運用の非効率性、無駄遣いが明るみに出て、2001年に資金運用部は廃止された。2001年は、大蔵省から財務省への組織替えになった年だ。
現在は、国民年金、厚生年金の保険料は厚生労働省管轄の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が行っている。年金資金は今後縮小するとはいえ、現在も国債の大量の購入によって国の借金を支えている。また、リスク資産の購入によって株式市場のテコ入れにも使われている。
以上のように、年金資金は、高齢者の生活の安心とは別の役割を果たしているのだ。
「国民皆年金」の日本の公的年金制度は「第2の国家予算」。そして実際に、そのお金は高度成長期の日本の成長を支える役割を果たしてきた。戦後の日本の公的年金制度を振り返ってみれば、公的年金制度は日本の経済成長の下支えとしての役割がメインで、高齢者の生活の安定は二の次ではなかったかと思われる。