東日本大震災の被害総額は16.9兆円…現地で見た光景
■東日本大震災で感じた違和感
2011年3月11日午後2時46分。未曾有の大災害が東日本を襲った。三陸沖を震源とする、東日本大震災だ。地震の規模は日本国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0。これは、1900年以降の世界で4番目に大きい地震である(アメリカ地質調査所による)。さらにこの巨大地震により、海岸線には壁のような津波がそそり立ち、多くの人命を飲み込んでいった。
各地を襲った津波の高さは、福島県相馬では9.3m以上、岩手県宮古で8.5m以上、大船渡で8.0m以上、宮城県石巻市鮎川で7.6m以上などが観測(気象庁検潮所)されたほか、宮城県女川漁港で14.8mの津波痕跡も確認(港湾空港技術研究所)されている。
この地震と津波による被害は死者1万4517人、行方不明1万1432人、負傷者5314人。18都道府県の13万人以上が被害に遭い、建物被害・全壊は7万6800戸にも上った(警察庁2011年4月27日発表)。
被害総額は内閣府によれば、阪神・淡路大震災の1.7倍にも上る16.9兆円と推計されている。当時、私は東京で外資系のIT企業に勤務していた。揺れが収まったあと、まず思ったことは、「すぐに被災地に行かなければ」であった。
災害が発生したときに足りないのは物資と人手であることを私はもはやよく知っていた。どんな災害であろうと、人手は必ず不足する。「ボランティアは、すぐ入ったほうがいい」と私は感じていた。周りの仲間にも声をかけ、私は、すぐにボランティア活動の準備に取りかかった。
津波に破壊し尽くされた現場に立った時、文字通り言葉を失い、ただ唾を飲み込むしかなかったことを覚えている。私は指示に従い、黙々と瓦礫の撤去を協力して行った。震災直後の騒然とした状況が過ぎ、ゴールデンウィークになると、休みを利用してボランティアに参加する人々をテレビが中継するシーンを多く見かけるようになった。
しかし、そのどれもが私には、違和感を禁じ得ないものばかりであった。