フィリピンのスラムで、31歳下のフィリピン人女性と暮らす日本人男性・吉岡学(仮名)さん。現地社会にどっぷり浸かった生き様は、フジテレビ系の人気番組「ザ・ノンフィクション」(2019年5月26日放送)でも取り上げられた。ここでは、彼が「フィリピンのスラムにやってくるまでの経緯」を、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が解説する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
「日当約270円」で卵拾い…日本の管理職男性がフィリピンパブから足を踏み入れた怒涛の生活 (トタン屋根の家が密集する吉岡さん宅周辺のスラム 撮影:水谷竹秀)

「日本ではろくな仕事がないなあ」結婚後の波乱万丈

吉岡さんが初めて店を訪れた半年後の1995年1月、子供2人を身内に預けて、彼女の実家があるフィリピンまで飛んでジーナさんと結婚した。その後、吉岡さんは1人で日本に戻ったが、彼女は配偶者ビザの取得手続きがあったため、それを済ませて数ヵ月後に日本へ渡った。そして県営住宅での再婚生活が始まった。

 

やがて彼女との間にも子供が2人生まれ、前妻の子供2人と合わせて一家6人で肩を寄せ合うように暮らした。

 

日中は吉岡さんが大手警備会社で管理職として、夜はジーナさんがパブでそれぞれ働き、子供たちの面倒を代わり番こでみた。

 

だが、再婚生活から5年が経った頃、吉岡さんは社内の持ち株比率に関する規定に違反したことが発覚し、これを機に依願退職した。当時、38歳。もはや簡単に仕事を見つけられる年齢でもなく、ジーナさんが働く四国のパブの別の店舗を紹介され、そこで店長として働くことになった。

 

しかし、1年も経たないうちに入国管理局から摘発されて営業停止に追い込まれ、再び無職に。ジーナさんからは「フィリピンの実家はジプニー(乗り合いジープ)を6台所有しているの。それで商売できるから来ない?」と持ち掛けられ、彼女と一緒に2002年、再びこの南国の地を踏んだのだった。

 

ところが到着してみたら、ジーナさんの自宅にはジプニーがどこにも見当たらない。近所の人に聞けば「そんなのないよ!」と伝えられ、そこで初めてでたらめに気付いた。

 

仕方がないから吉岡さんはその後、ジーナさんと一緒に日本に帰国し、塗装関係の仕事に就いたが、日当が5000円しか支給されない上、過酷な肉体労働に耐えられずに退職した。そして2004年にフィリピンに戻ってからは日本に帰国していない。

 

日本人の前妻との間の子供2人は再び身内に預け、ジーナさんとの間の子供2人は一緒に連れてきた。

 

「塗装関係の仕事を経験してから、日本ではろくな仕事がないなあと思って。その時はもう40代でしょ? 肉体労働はしんどい。だったらフィリピンで何か仕事を始めたほうがいいんじゃないかと。途上国だからビジネスチャンスがあると思ったんですね。ちょっと工夫すればお金が入ってくるかなと……」

 

マニラの夜の繁華街は観光客で賑わっている

 

だが、何のノウハウもない外国人がビジネスをできるほどフィリピンは甘くない。日本で他に仕事が見つけられたはずだ。だから吉岡さんのこの発言には、合点がいかなかった。