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フィリピン移住で「人生が変わった」年金暮らし女性
小松崎憲子(こまつざきのりこ)という人物をご存じだろうか。
恐らくその名前を聞いてピンとくる日本の読者はいないだろう。私もフィリピンに住み始めるまでは知らなかったが、ここで長年暮らす年金生活者の間で、彼女の名前を知らない者はいないといっても過言ではない。
「小松崎さんは海外年金生活者の草分け的存在で、日本人の年金生活者に与えた影響は大きいと思います。フィリピンに来た当初は定年退職した女性って感じでしたけど、会うたびに服装がおしゃれになり、段々と若返っていった印象です。
日本では小学校の先生をやっていたので、生徒の両親や周りの目を気にしてやりたいように振る舞えず、フィリピンに来て一気に開花した感じでしょうか」(フィリピン在住22年の日本人男性、56歳)
「小松崎さんが書いた本の出版記念パーティーに参加したのを覚えています。小松崎さんは当時、退職者ビザの取得手続き代行業務やメールでの問い合わせ対応、マニラに来た日本人のお客さんの空港への送り迎えなど、とにかく忙しそうでした。
一人暮らしだったからそのほうがいいのでしょう。それが生きがいみたいな感じでしたね」(同在住15年の日本人男性、72歳)
「赤いマニキュアをしていたのが印象的で、日本の田舎だったらこんな派手なことできなかったと言っていました。フィリピンに来た当初はルンルンでしたね。車を買って、メイド2人雇って、ダイビングやって、フラメンコを習って。小松崎さんは体が細くて背が高いので、フラメンコを踊る姿が似合ってたんだよ。
そのほかに社交ダンスも習っていました。インストラクターの若いフィリピン人男性を別の日本人女性と取り合っていたと聞いたなあ。ネクタイや洋服を買ってあげて、相当お金を使っていたみたいだよ。でもそれを生きがいにしていたからね」(同在住9年の日本人男性、69歳)
これらの語りから彼女の生前の姿が浮かび上がってきただろうか。年金生活者の草分け、自著の出版記念パーティー、おしゃれ、フラメンコ、ダイビング……。日本で40年近くにわたる教員生活を終え、フィリピンに移住してから間違いなく、彼女の人生は180度変わった。
その様子を綴った『マニラ極楽暮らし年金女性のフィリピン生活』(マガジンハウス)は1999年5月に出版され、間もなく多くの年金生活者にとってのバイブルとなった。
表紙には、エメラルドグリーンの海に浮かぶ青い空を、椅子に座って優雅に眺める女性の姿が油絵調で描かれており、海外生活の華々しさをアピールするかのように、真っ赤な花々が女性の隣に添えられている。帯の謳い文句がそれをさらに強調する。
「専属運転手、ホームメイドを2人使って10万円前後で生活出来る“年金者天国”」