物価が安く、気候が温暖なフィリピンでセカンドライフを送る年金生活者は少なくない。彼らの英語学習事情はというと、消極的な人も多いが、熱心に学ぶ人もいる、といったところ。英語力がなくても普通に生活できるとはいえ、言語が通じたほうが深いコミュニケーションを取れることは確かだ。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏は、セブ島の語学学校に通う日本人年金生活者2名に取材をおこなった。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
69歳・月16万円受給「日本で暮らすのは精一杯」…セブ島留学から始まる“豊かな年金生活” (※画像はイメージです/PIXTA)

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若者たちに交じって…69歳男性の「セブ島短期留学」

「パッ」「パッ」と母音を含む出だしを強調し、「パーク(park)」と若いフィリピン人男性の教師が発音すると、69歳の若松直臣(わかまつなおおみ)さんはそれに続いて大きく口を開け、「パーク」と発音する。「ベリー・グッド!」とすかさず入った褒め言葉が、狭い教室内に響く。

 

フィリピン人教師のお手本に続いて、英語の発音を練習する若松さん
フィリピン人教師のお手本に続いて、英語の発音を練習する若松さん

 

難しかったのは「tomato」の発音だ。若松さんが「トマート」と発音すると、教師が「ミスターナオ、『トマート』じゃないよ。『トゥメイト』」と説明するも、若松さんは「トマート」と連呼する。

 

教師からしたら40歳以上も年上の若松さん。真面目に取り組んでいるのだが、その通りに発音できない若松さんの様子が、どこか子供っぽく映るのだろう。教師が思わず吹き出す場面があった。

 

若松さんにとって「Tomato」の発音はやはり難しかったようだ
若松さんにとって「Tomato」の発音はやはり難しかったようだ

 

教室の広さは約1.5畳。白くペイントされた木の板に囲まれ、テーブル一つが角に置かれただけの簡素な部屋だ。ホワイトボードには発音記号と単語がいくつか並び、この日は、母音の発音練習だった。

 

授業終了後、若いフィリピン人男性の先生は、感想をこう語った。

 

「若松さんは学生時代に発音の練習をしていなかったから今の年になって矯正するのはなかなか難しい。だから若い生徒に比べて時間はかかるでしょう。それでも若松さんはよく勉強していますよ。午前2時まで勉強している時もあると聞きました」

 

セブ島中部に小さく突き出たマクタン島の海岸沿いにある語学学校で、私が若松さんの授業参観をした時のことである。

 

2000年代初頭、フィリピン国内に、韓国人資本の語学学校ができたのを皮切りに、「フィリピンで英語留学」が韓国人の間で認知されていった。

 

特にセブ島はダイビングスポットとしても有名な観光地であるため、これを売りに次第に語学学校が増え始め、フィリピン国内で語学留学の中心地と位置付けられるようになった。欧米諸国に比べて留学費用が低価格で、教師とのマンツーマン授業が人気の理由だ。

 

押し寄せるグローバル化の波に伴い、日本でもユニクロや楽天などといった大手企業が英語を社内公用語化し、以前にも増して英語力が求められる時代である。

 

大学生や海外への転職を志す日本の若者たちは相次いでセブ島に短期留学に訪れ、ここ数年間で日本人資本の語学学校も急増した。そんな日本の若者たちに交じって、白髪の若松さんも短期留学に来ていたのだ。