フィリピンのスラムで、31歳下のフィリピン人女性と暮らす日本人男性・吉岡学(仮名)さん。現地社会にどっぷり浸かった生き様は、フジテレビ系の人気番組「ザ・ノンフィクション」(2019年5月26日放送)でも取り上げられた。ここでは、彼が「フィリピンのスラムにやってくるまでの経緯」を、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が解説する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
「日当約270円」で卵拾い…日本の管理職男性がフィリピンパブから足を踏み入れた怒涛の生活 (トタン屋根の家が密集する吉岡さん宅周辺のスラム 撮影:水谷竹秀)

日当約270円でも「なんとかなった」吉岡さんの武器

送金はそれから4年ほど続いた。しかも不定期で、1回1万円〜2万円程度。家賃1000ペソ(約2700円)のアパートをはじめ居場所を転々とし、地元住民に紹介してもらった合鴨(あいがも)の卵を拾い集める仕事に就き、日当100ペソ(約270円)で生活を続けた。その後は、縫製工場で幼児服のアイロン掛けをする仕事に移った。

 

※ 現地の物価は本書が刊行された約6年前のもので、フィリピンペソの日本円換算レートは2015年7月現在(1ペソ=約2.7円)のレートで計算しています。

 

実に複雑怪奇な吉岡さんのフィリピン生活であるが、本人が病に倒れず、生活をしていく覚悟さえあれば、フィリピンでは何とかなるということを示してくれるようでもある。

 

サリサリストア(駄菓子や日用雑貨の小売店)で現地の人々と談笑する吉岡さん

 

それに吉岡さんは、タガログ語という「武器」を持っていたことがやはり、サバイバル生活での大きな支えになった。知人の日本人男性からもらったタガログ語の教科書を見ながら、ノートに書き写し、寝る前にはベッドの上で単語を覚えまくった。

 

吉岡さんがタガログ語を勉強していた当時のノート

 

取材時に何度も感じたことだが、吉岡さんの記憶力は抜群だ。私の話も含め過去のことについてかなり詳細に覚えている上、何回聞いても話の内容がぶれない。この記憶力も手伝ってか、吉岡さんはタガログ語をみるみるうちに上達させていった。

 

「ここで1人で生きるために覚えることにしたんです」

 

 

水谷 竹秀

ノンフィクションライター

1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業後、カメラマン、新聞記者などを経てフリーに。

2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。他に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)など。

10年超のフィリピン滞在歴をもとに、「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材している。