ここまでフィリピン人社会に溶け込んだ日本人は…
「妻は18歳だよ」
そう知人から聞いて私が吉岡さんに会ったのは2012年春先のこと。
当時は、水に加えて電気も自宅に来ていなかったため、灯油ランプ2個を灯して夜を過ごしていた。日本では糖尿病を患っていたが、フィリピンで極貧の生活を送るようになってから、いつの間にか完治したというエピソードが最も印象に残っている。
「むやみに栄養を取らないから貧乏は糖尿病に強い。もし日本にいたら今頃は指が無くなっていたでしょう。貧乏は糖尿病に勝つ!」
そう力を込めて語る吉岡さんの言葉を思い出し、何度笑ったことか。
その後、スラムに通ううちに、吉岡さんの生活力と環境への適応力に心底、脱帽してしまったのが取材を始めようと思ったきっかけである。
日本の外務省の在留邦人数調査統計によると、フィリピンには1万8870人(2014年10月現在、在留届け出ベース)の在留邦人がいるが、正直、ここまでフィリピン人社会に溶け込み、現地化している日本人は、吉岡さん以外に私は知らない。しかもここはスラムだ。
そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまったと言えなくもないが、それにしても凄まじい生命力である。吉岡さんはフィリピン滞在中にタガログ語を独学で覚え、今では妻ら家族とのやり取りはすべてタガログ語だ。日常会話には全く問題がないレベルである。
たまに私が訪れると、「日本語が話せて嬉しい!」と洩らすが、彼の話す日本語にもたまにタガログ語が混在していた。それほどまでに、現地での生活が体に染み込んでいるのである。
私が前作『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で取り上げた困窮邦人たちは、近所のフィリピン人に住居や食事の世話をしてもらいながら生き延びていたが、同じ困窮でも、吉岡さんは自助努力で何とか生活を再建しようと踏ん張っていたのだ。
私の目の前で井戸水を汲み、家事をこなし、節約のために毎朝歩いて仕事場まで通う吉岡さんのひたむきな姿に、今を生き抜こうとする強い芯のようなものが感じられた。
私が同じ立場であれば、とても前向きに生きていこうとは思わない。恐らく、生きることを放棄してしまうだろう。
しかも妻のロナさんは、吉岡さんに経済力がないと知りながらも一緒にいる。その理由についてロナさんはこんな説明をしていた。