物価が安く、気候が温暖な東南アジアでのセカンドライフを目指す高齢者は多い。若い現地人妻・温かい家族と豪邸で暮らす人も少なくはないが、言語や環境に適応できず、女性にも捨てられて無一文で暮らす人がいるのも事実である。それでも日本で老後を送るよりは…と海外移住を決意した人々には、それぞれ語られるべきドラマがあった。ここでは、フィリピンで長く取材を続けたノンフィクションライターの水谷竹秀氏が、マニラで暮らす日本人男性・小林さんと、妻・エレンさんのこれまでを紹介する。 ※本連載は、書籍『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)より一部を抜粋・再編集したものです。
元警官男性「マニラで年金暮らし」24歳下フィリピン人妻との仲睦まじさに“正直驚いた”ワケ (小林夫妻 撮影:水谷竹秀氏)

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フィリピンパブで出会った2人の「本物の愛」

「パパは完璧よ。優しいから」

 

47歳のフィリピン人妻、エレンさんが日本語でそう言うと、隣に座る71歳の夫、小林靖弘(こばやしやすひろ)さんが照れ笑いを浮かべた。続けてタガログ語でエレンさんは語った。

 

「たとえお金がなくても幸せよ。お金がすべてじゃない。お互いの気持ちが大事なの、そうでしょ?」

 

1990年代半ばに日本で出会い、現在はマニラで一つ屋根の下に暮らしているこの夫婦の関係は恐らく、本物だろう。私の前で、エレンさんが小林さんに寄り添う姿が、2人の睦まじさを物語っていた。

 

2人が出会った場所は、新宿歌舞伎町にあるフィリピンパブである。エレンさんは当時、30歳を超えていた。一方の小林さんは警視庁捜査三課に所属し、都内の警察署に配属されていた時の同僚と、初めて訪れたフィリピンパブだった。

 

「面白い女だなあと思いましたね」

 

当時を振り返って小林さんは笑った。

 

特に印象に残っているのは、店に行く途中の歌舞伎町で見かけた、エレンさんの姿だった。彼女はいつも派手な格好で「こばやしさ〜ん」と手を振っていた。

 

「周りの人たちがエレンの開けっ広げな姿にビックリしているんです。こいつと一緒にいたらあきない。いつも笑っているっていうか。日本語もできるし、嫌な顔も見せない。おまけに仕草も面白い」

 

それまでフィリピンパブに行ったことがなく、元々日本のキャバクラにも興味がない小林さんだったが、エレンさんを気に入ってからは月に5〜6回は通い、何度か同伴出勤を重ね、そして数年後には結婚した。

 

小林さんにとってこれが3度目の結婚である。一人目の日本人女性は40歳の時に離婚し、二人目の日本人女性は病死。エレンさんとの結婚はいわば、三度目の正直だった。

 

この出会いがなければ、小林さんはフィリピンで老後を送ろうなんて思ってもみなかっただろう。

 

高校卒業から40年間勤めた警視庁を58歳の時に退職し、フィリピンへ移住してはや10年以上。年金を受け取りながら、日本人の仲間たちとゴルフに明け暮れる日々を送っている。