吉岡さんの「とにかく忙しい朝」の始まり
そして近くに置いてあるバケツ2つを手に取り、自宅から歩いて数十メートルの広場にある井戸へ向かった。
「ガッチャ、ガッチャ、ガッチャ……」
井戸のポンプが上下する一定のリズム音が早朝の静けさの中に響き渡り、がたいの大きい吉岡さんは、慣れた手つきで井戸水を汲み上げる。
バケツ2杯分を満たしたら自宅へ戻り、汲みたての水を手にして顔をサッとひと洗い。
スラムでの吉岡さんの1日は、バケツに井戸水を汲むことから始まる。自宅に水道が敷かれていないためだ。
続いて朝ご飯の支度。内縁の妻のフィリピン人女性、ロナさんはまだ寝室で寝ているのか、台所に現れていない。特にそれを気にするでもなく、吉岡さんは黙々と作業を続けていた。昨日の残りの冷や飯を釡から皿に盛り、釡を洗う。そしてコメを5カップ(5合分)と井戸水を釡に入れ、裏庭で七輪の上に載せてたばこを1服。
近くにある屋外トイレは、1メートル四方のコンクリートの土台の上に便器があるだけの質素な作りで、ビニールシートで囲われている。以前は天井部分が覆われていなかったため、雨が降ると傘をさしながら用を足していたのだが、最近、グレードアップしたようだ。
そろそろ鶏の鳴き声が辺りから聞こえる時間である。たばこを吸い終わった吉岡さんは、外に生えている香草を抜き取り、小さく折り畳んで釡の中へ入れた。
「この香草とお酢を入れて一緒に炊くと、質の悪いコメでもおいしいコメに化けるんです」
そう得意げに説明する吉岡さんの朝はとにかく忙しい。
コメが炊きあがるまでの間、近くの雑貨屋に卵などの買い出し。自宅に戻ったと思うと、いつの間にか外に生い茂っている雑草の中にその姿があった。
腰をかがめて両手をもそもそと動かしているので、何をしているのか尋ねると、
「芋の葉っぱを取っています」
と答える吉岡さんの声が向こうから聞こえる。
燦々(さんさん)と降り注ぐ朝日を背に浴びながら、吉岡さんが芋の葉を摘んでいる姿は、牧歌的というよりは原始的で、遠くからだと人類に似た野生動物のように見えた。
戻ってきた足下は泥だらけ。普段は自分の生活を自虐的に語って笑う吉岡さんだが、朝は忙しいためか、少し苛立(いらだ)っていた。