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認知症患者家族の当初の意向「胃瘻による治療はなし」
Hさんには二月の寒い日に初めてお目にかかりました。
初診時、外は寒いのに室内は快適に保たれ、家族の愛情を感じました。認知症がかなり進んでおり、コミュニケーションはまったく取れません。そのうえ寝たきりです。Hさんには若いころから関節リウマチがありましたが、病院嫌いで通院はしませんでした。八〇歳になってリウマチの専門病院を受診しましたが、もう治療できる余地はないと言われました。
初診時、手や足の指は著しく変形し、少しでも医学的知識があれば関節リウマチだとすぐにわかるような状態でした。変形した足指の突出部と仙骨部には褥瘡(じょくそう…床ずれのこと)がありました。
介護は娘さん夫婦が行っていました。娘さんはHさんに似て華奢な体つきでおとなしそうな印象の人でした。仕事を持っていたため、日中の介護は娘婿のUさんが担っていました。
Uさんは元トラックの運転手で、退職後は娘さんに代わってHさんの世話を長い間続けてきました。立派な体格で、顔はいかつく、声は大きく、突然声をかけられたら萎縮してしまいそうな迫力がありましたが、本当は気さくな優しい人でした。
娘さん夫婦には子どもがなく、ずっと三人家族で生活されてきたようで、元気だったころのHさんは気難しい性格であったようですが、認知症が進行してからは娘さん夫婦の子どものような存在になっていたようです。
初診時すでにHさんの経口摂取量は低下傾向にあり、認知症の進行に伴う摂食障害と考えられました。いずれはまったく食べられなくなることを見越し、今後の栄養管理については初診時から家族と相談をしていました。
初診時の家族の希望は、胃瘻や経鼻経管による人工栄養法や中心静脈栄養法は導入しないということでした。
「日々痩せ細り弱っていく義母を見るに忍びなくて…」
初診以後のHさんの経過は穏やかでした。
普通の食事はすでに食べられなくなっていましたが、経管栄養用の栄養剤を口から飲むことは可能でした。意味不明、とんちんかんな発声で皆を笑わせたり、四月には近所に花見にも出かけました。
しかし六月に突然の発熱が出現し、誤嚥性肺炎で病院に入院しました。そして入院中、家族は栄養管理について再考を迫られることとなりました。
従来の希望どおり人工的なものは何もせず、自然な形で看るのか……、あるいは、人工的な手段があるのなら、それを選択するのか……。Hさんの身体状態が変化するたびに、この問題が浮上してきます。特に認知症で自分のことが自分で決断できない患者の家族には、その重圧が本人をスルーして直接押し寄せてきます。
そして結局Hさんの場合は、胃瘻を造設することとなりました。「日々痩せ細り、弱っていく義母を見るに忍びなく、決断しました」と退院後Uさんが明かしてくれました。
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