日本の会社は「個性的な人材」を望んではいない
■就職活動における「タテマエとホンネ」の欺瞞
30年以上前の段階で「問題=何を変えるべきか」と「解決策=どう変えるべきか」がはっきりとわかっていたにもかかわらず、幾多の取り組みを経ても目に見えるような変化が起きていないことを踏まえれば、同じような議論の末に同じような解決策を施したとしても、また同じ30年を繰り返すことになるだけでしょう。いい加減にこの手の議論はもうやめにしませんか? というのが、まずは私の提案ということです。
変えるべき問題が明確になっているにもかかわらず、何度対処しても大きな変化が起こらないというとき、その問題は「複雑なシステム」によって引き起こされていることがほとんどです。ここでいう「複雑なシステム」とは「問題を生み出すシステムが開放系になっており、現象として目に見える範囲以上に広範囲かつ多様な因果関係によって引き起こされている問題」という意味です。
「学習する組織」という概念を提唱し、20世紀の経営科学にもっとも大きな影響を与えたといわれるMITスローンスクールのピーター・センゲは、このような問題を解決するにあたっては、従来から重用されてきた「全体を部分に分けて悪いところを直す」という要素還元主義的な方法論、いわゆる「論理思考」は機能しないため、全体を統合的に捉える「システム思考」のアプローチが必要だと主張しています。
これはつまり、何を言っているかというと、この問題を解消しようとする時、問題の原因となる要因は教育という枠組みの外側にまたがって絡まるように存在しており、これらの要因へ対処しない限り本質的な解決はおぼつかないだろうということです。
特に私は、教育現場におけるさまざまな取り組みが最終的に無効化される原因は、教育プロセスよりも、プロセスの出口に位置する就職活動およびその後に続く経済活動・社会活動の中にこそ潜んでいると思います。どういうことでしょうか。
本質的な原因を挙げるとすれば、それは、
ホンネでは誰も個性的な人材など望んでいないから
という理由に尽きます。
社会の大勢は個性的な人材など望んでおらず、むしろ真逆である従順で実直な人材を望んでいます。そして、この「タテマエとホンネ」の欺瞞を子供たちは見抜いており、だからこそ創造性や個性を育む教育が茶番化して空回りをし続けているのです。
■新卒一括採用というシステムの終焉
このような指摘に対しては、もしかしたら「いや、そんなことはない、自分は個性的な人材を本当に求めている」という反論があるかもあるかもしれません。
しかし「社会の多数派は個性的な人材など望んでいない」という「オトナのホンネ」を示す社会のルールや仕組みはそこらじゅうに見つけ出すことができます。たとえば「新卒一括採用」という、世界的に類を見ない異様な採用方式がいまだに続けられているのはなぜでしょうか。
新卒一括採用というのは「皆と同じ時期に、皆と同じような活動をして、皆と同じ時期に入社する」ことが前提となっています。しかも採用する側の企業はご丁寧に「採用活動の解禁日」まで足並みを揃えるというような奇っ怪なことまでしている。このような採用方式を主要な人材獲得の手段としているということはつまり「社会のルールに同調できないような“個性ある人材”はウチにはいりません」というメッセージを送っているのと同じことです。
最近はどの企業も判で押したように「変革を自ら主導できる個性的な人材を求める」といった個性のかけらもないメッセージを労働市場に送っていますが、新卒一括採用という採用方式をとりながら、このようなメッセージを発信していること自体が自己欺瞞そのもので、よくもまあイケシャアシャアと言えたものだと毎回感心させられます。
新卒一括採用というシステムは「短期間に大量の候補者を評価する」ことを前提にして成立しています。