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進学校に入ったとたん、優秀な生徒だらけで心が折れた
歯医者になるのはかなり難しいと知ったのも中学生のときです。いろいろと調べていくうちに、医者になるなら医学部、歯医者になるなら歯学部に行かないといけないと分かりました。また、国公立大学と私立大学の歯学部では学費に天と地ほどの差があることも分かりました。
家計の都合上、私が行けるとすれば国公立です。入学するためにはそれなりに学力が高い高校に入ることが重要です。そこで受験勉強を頑張って、無事に進学校に入学したのですが、問題はそのあとです。
中学ではそれなりの成績を取っていましたが、進学校には大阪市内外から優秀な生徒が集まります。「井の中の蛙、大海を知らず」とはこういうことをいうのでしょう。附属の大学もなく、エスカレーターで大学に行けるわけではありません。優秀な大学を目指し、入学後も勉強は続きます。むしろ大学受験に焦点を当てている学校ですから、入学してからが本当の勝負です。
(こんなに優秀な同級生がいっぱいいるのか…)
そう実感して、私は心が折れました。歯医者になる目標がはるか遠くに感じられるようになり、勉強に身が入らなくなったのです。
勉強だけに限ったことではないと思いますが、頑張れば伸び、手を抜けば落ちこぼれます。適正やセンスも大事ですが、最も重要なのは努力です。もちろん、裏技もなければ抜け道もありません。
周りが1時間勉強するなら、自分は1時間10分勉強する。ライバルが参考書を3冊やるなら、自分は4冊やる。その積み重ねによってのみ、学力は伸びるのです。筋力や人脈などもきっと同じです。
余談ですが、1日1%ずつ成長すると、1年後には37倍になるのだそうです。1の能力を、今日は1.01に、明日は1.01の101%に…と積み重ねると、1年後に37になるということです(1.01の365乗)。たった1%、されど1%です。
逆に、1の能力が1日1%ずつ衰退するとどうなるでしょうか。1年後には、1あった能力が0.03になっています(0.99の365乗)。
中学生のときの私は前者のパターン、高校入学以降の私は後者のパターンでした。坂道を転げ落ちるように成績が悪くなり、授業が分からないのでさらにやる気が低下し、気づいたら学年の底辺をうろうろするレベルの学力にまで落ちてしまったのです。
高校3年生になって再び必死に勉強を始めたが…
「歯医者になりたい」と先生と親に宣言したことで、私は逃げ道を捨てました。捨てざるを得なくなった、という表現のほうが正確でしょう。歯医者を目指していることが周りに知れ渡ったことで、「本気で目指してるわけじゃない」「だから、なれなかったとしてもショックじゃない」という言い訳ができなくなったのです。こうなった以上は、再び死に物狂いで勉強に取り組むしかありません。
しかし、入学してから2年間の手抜きを、1年間の勉強で取り戻せるほど受験は甘くありません。ライバルは皆、3年間ぶっ通しで勉強しているので、3年勉強した人と1年だけ頑張った人では差がつくのは当然なのです。
模試の結果はE判定…志望校を変えるか、浪人するか
刻々と受験が迫るなか、私は九州大学歯学部を志望校としました。九州大学歯学部の合格ラインは当時で偏差値60くらい。私の偏差値は50くらいでした。当時の私の偏差値では、私立の歯科大にはギリギリ合格できる可能性がありましたが、学費の面で私が通えるのは国公立だけです。九州大学歯学部に現役で合格できる見込みはほとんどありません。
そのことを決定づけたのが、受験の数ヵ月前に受けた全国模擬試験です。この試験で、九州大学歯学部の合格可能性がE判定だったのです。判定はAからEの5段階で、それぞれ志望校の合格率を判定します。A判定なら合格率80%以上、B判定は60〜80%、C判定は40〜60%、D判定は20〜40%、そして、E判定は20%以下です。
E判定が出た場合、通常、現役での合格の可能性は限りなく低く、その場合の選択肢は2つです。
1つは志望校を変えることです。志望校の偏差値が下がれば判定は上がりますので、現役合格の可能性は大きくなります。もう1つは、浪人です。現役合格を諦めて、翌年また志望校を受験します。この2つの選択肢を突きつけられて、私は「素直になる」ことが重要だと感じました。
歯学部に合格するための学力が足りていない、まずはこのことを素直に受け入れました。勉強してこなかった自分を受け入れ、「逃げ道がある」と安心していた自分も受け入れました。しかし、歯医者になりたいという思いは消えていません。
「浪人してもええから歯医者になりたい」
その思いにも素直に従わなければならないと思いました。結果、私は浪人覚悟で九州大学歯学部を目指そうと決めたのです。
「浪人は自分だけじゃない」。安堵してしまった結果…
受験の結果は、予想どおり不合格でした。受験にミラクルはありません。努力の量が明確に表れます。そのことを実感しつつ、翌日から浪人生活がスタートしました。1年後の合格を目指して予備校に通う日々です。
ただ、予備校には同じ高校の同級生が何十人もいます。彼らも難関大学を目指しているため、浪人して再挑戦する人が多いのです。結果、予備校生活は高校生活の延長のような雰囲気になりました。
「浪人は自分だけじゃない」
そんな安堵の気持ちが生まれ、緊張感と危機感が薄れていきました。勉強に身が入らず、たまにサボってパチンコに行くようになります。パチンコをして成績が良くなるはずがなく、気づけば春が終わり、夏になり、「このままだとまずいな」と思ったときには、すっかり秋になっていました。
模擬試験の判定も一向に上がりません。何回受けてもE判定です。きちんと勉強していないのですから当たり前です。2度目の受験まであと数ヵ月と迫っていましたが、1年前からまったく成長していません。
そう気づいたとき、歯医者になってフェラーリに乗る夢が果てしなく遠く感じられました。教室内を見渡すと、見慣れた顔の元同級生がいます。今は一緒に高校生活の延長戦を楽しんでいますが、彼らのうちの大部分は次の受験で合格し、この安住の地から旅立って行きます。
(俺だけがいつまでもここに取り残されるんちゃうか)
そう考えたとき、私は強烈な孤独感を覚えました。孤独に耐えかねて、私は隣に座っていた友人に話し掛けました。
「なぁ、俺は将来、歯医者になってフェラーリに乗ろうと思ってるんや」
「知ってるわ。なんべんも聞いた」
「でな、これ見てみ」
そう言って、戻って来たE判定の紙を見せます。
「…Eって、ほんまに? 絶望的やん…」
そう言って、友達は笑いました。
「そうやねん。今回も絶望的やねん」
そう言って、私も笑いました。笑っている場合ではないのですが、笑いが込み上げてきました。歯医者になると言っている割にE判定であることや、1年前と変わっていないことや、どう逆立ちしてもこのままでは絶望的な現実が、おかしくて仕方なかったのです。笑い声を聞いて近くにいた別の友達も寄って来ました。
「どうしたん?」
「安積センセー、E判定やって」
友達が私の結果を公表し、さらに笑いが大きくなりました。
不思議だったのは、あれだけ笑われることを恐れていたにもかかわらず、いざ笑われてみるとまったく嫌な気がしなかったことです。むしろ「このままではあかん」「変わらなあかん」といった重苦しい気持ちがスッと消え、肩の荷が下りたような爽快感がありました。
私の笑われたくない病も、このときから治り始めました。私はずっと「かっこつけよう」「笑われへんようにしよう」と気負っていました。しかし、私は浪人しています。2度目の受験が迫っているなか、相変わらずのE判定です。こんな状態では、どこを、どうかっこつけてもかっこよくなりません。
笑われたことによって、私は自分の勉強不足を認識しました。E判定が出ている自分と向き合えるようになり、笑われないように取り繕う無意味さに気づき、歯医者になるために本気で勉強しなければならないと思えたのです。
安積 中
あづみハッピー歯科医院院長
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