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「貧乏だから買ってもらえない」と諦めるのではなく…
中学2年生のとき、私は新聞配達のアルバイトを始めました。理由は、自転車が欲しかったからです。友達は良い自転車に乗り、「新しい自転車買ってん」と自慢します。自慢することはいいことです。うれしいときはたくさん笑うのが正解です。ただ、そういう自慢話を聞くたびに、それは「買った」ものではなく「親に買ってもらった」ものだといつも思っていました。
お金持ちの家に生まれていれば、私もきっと自転車を買ってもらえたことでしょう。しかし、私の家は貧乏ですからそれは望めません。お小遣いを貯めて買うという選択肢がよその家にはあったでしょうが、私はごくわずかな額のお小遣いしかもらっていませんでした。ならば、残された方法は「自分で稼いで買う」です。そう考え、「アルバイトしたい」と父に伝えると、父は一言「三日坊主になるな」とだけ言いました。父が反対しなかったのは、自分が欲しいものをつかみ取ろうとしている私を応援してくれていたことの表れだと思います。
今は生活水準が上がり、豊かに暮らしている家庭が多いですし、学業優先で考える人が多いでしょうから、中学生でアルバイトをしようと考える人は皆無に等しいと思います。
しかし、私はどうしても自転車を買いたかったため、近所の新聞配達の店に行き「働かせてください」と頼みました。その新聞配達店では、ちょうど前任者がやめたばかりで人が足りていないタイミングでした。
「明日から来られる?」
「はい。大丈夫です」
「ほんなら、5時においで」
「分かりました」
そんな簡単なやりとりのあと、すぐに採用が決まり、翌日からアルバイトがスタートしました。時給制なのか、歩合制なのかも決めずに二つ返事でした。
苦労するほど、目標達成が近づく「嬉しさ」を実感
朝5時に起床して新聞配達店に行き、朝刊の束を自転車に積んで団地を回ります。勤務時間は6時までで、その間に150軒の家に新聞を配ります。団地の数は、20棟ほど。各団地を5階まで上がり、玄関のポストに新聞を入れていきます。終われば帰宅し、早めの朝ごはんを食べて、それから学校へ行って勉強し、夕方は部活です。家に帰ると夕方の6時くらいで、そこから食事をして、銭湯に行きます。7時から2時間でテレビを観たり、学校の宿題をしたり、終わったらすぐに寝て、翌朝、再び5時に起きるという生活です。
それなりに忙しく、中学生といえども、体力的にはつらい日々でした。
しかし、自転車を買うという目標に近づけていることが楽しく、体を動かすことで努力している実感が湧きました。光が強くなるほど影が濃くなるように、アルバイトがつらいほど、自転車を買うという目標の価値が強く感じられるようになり、苦労はしましたが、笑いながら取り組めるようになっていったのです。
目標という点では、フェラーリとの出会い以来、私は心の奥底で歯医者になるという目標を温め続けていました。ただ、どうすれば歯医者になれるかは分からず、その道のりは曖昧です。目標と呼ぶにはぼんやりしていて抽象的だったのです。
一方、このとき、自転車を買うという目標は明確で具体的でした。近所の自転車店を見て、買う自転車も決めていました。6段変速のギア付きで、ドロップハンドルの自転車です。値段は1万5000円くらいだったと記憶しています。その店で売っている自転車のなかでもかなり高価なものです。この自転車を手に入れたら、友達が「おお、すげえ」と感嘆し「ちょっと乗せて」と懇願してくる様子が目に浮かびました。
「ちょっとバイトしてな、お金が貯まったから買おうかなと思ってな」
そんなふうにスカして見せる自分の姿もはっきりと想像できました。こうなるとニヤニヤが止まりません。目標をもつことも大事ですが、目標に向かって努力していることや、目標に近づいている実感が大事なのです。
そんな充実感に浸りながら、新聞配達のアルバイトを始めて1ヵ月後、私は初めて給料をもらいました。金額は2万円でした。生まれて初めて自分で稼いだお金で、このときまでに私が目にしたことがあるお金の最高金額でした。給料をもらった日、私はそのお金を握りしめて家に帰りました。
「オカン、これバイト代。預かっといて」
そう言って2万円を母に渡しました。2万円もあれば、すぐにでも欲しかった自転車を買うことができます。目標を達成したので、ここでアルバイトをやめるという選択肢もありますが、せっかく稼ぐ機会をもらいました。配る家、配る順番、配り方を教えてくれた手間などを考えると、もう自転車が買えるからといって1ヵ月でやめるのは、雇ってくれた新聞配達店に悪いような気もしました。
なにより、私はこのときに自転車が余裕で買える2万円を得た喜びよりも、自分が欲しいものを自分でつかみ取る楽しさを感じました。目標を達成するまでのプロセスは苦しいけれど、目標をもち、自力で一歩踏み出す楽しさがあるからこそ苦しくても続けられるのです。
歯医者になれたのも「苦労して自転車を買った」おかげ
その後、新聞配達は1年続けることになりました。欲しかった自転車を買ったのは、アルバイトを始めて数ヵ月後のことです。ピカピカの自転車にまたがり、友達とよく遊んでいたいつもの公園にさっそうと登場します。友達は案の定、いや期待以上に驚いてくれました。最高級の自転車を買ったこともさることながら、密かにバイトをしていたこと、自分で稼いだお金で買ったことへの驚きも大きかったのだと思います。
「あいちゅん(私のあだ名)、バイトしてたん!?」
「知らんかった!!」
「すげえなあ」
友達にそう言われて「そうでもないで」と、さりげなく自慢します。「さりげなく」を意識していましたが、友達の反応を見て喜びが溢れ出し、ニヤニヤが止まらず、満面の笑みになっていました。父には「頑張ったな」と褒められ、母にも姉にも「頑張ったやん」と労ってもらい、このときの満足感は、今も思い出すだけで笑みがこぼれてしまうくらいです。
もしお金持ちの家に生まれていたら、アルバイト、まして早朝から新聞配達をすることはなく、この喜びを実感できなかったと思います。そう考えれば、貧乏だったことにも感謝の気持ちが湧いてきます。人生の目標という点においても、「バイトを頑張って自転車を買う」ことは、「歯医者になってフェラーリを買う」という大きな目標の予行演習になったとも思っています。
もし我が家が裕福だったら、もし私が貧乏生活にふてくされ、友達を羨ましがるだけの毎日を送っていたら、自分で稼ごうと思い立たなかったら、新聞配達店が雇ってくれなかったら…。どれか一つでも違っていたら、私は歯医者になれなかっただろうと思います。
以上が、私が貧乏暮らしを通じて見いだした「笑うチカラ」の身につけ方です。私の場合は貧乏が試練でしたが、自分は不幸だ、恵まれていないと感じるような苦境はほかにもいくつもあります。
家庭環境、病気、人間関係、容姿の良し悪しなどで、誰かを羨ましく思ったり、自分の不遇を呪いたくなるときもあります。しかし、不遇だからこそ身につけられることもあります。「あいつはええなあ」「なんで俺は…」とネガティブな気持ちになりかけたら、それは他人と自分を比べているということです。
しかし、「よそはよそ、うちはうち」です。そう割り切れば、境遇という不可抗力を素直に受け入れられるようになります。自分がおかれている状況を受け入れることができたら、ないものではなく、あるものに目を向けるのです。たとえ、欲しいものが手に入らなくても、目の前には手に入れられたものがあるはずです。モノがないなら、コトです。視点を変えてみることで、楽しいこと、うれしいこと、面白いことが身の回りにあると気づくのです。
仮にそれすら見当たらなかったとしても、目標はあるはずです。夢もあるはずです。何か一つあるだけで、人生は楽しくなります。目標を達成したときのこと、夢を叶えたときのことを想像して楽しい気持ちになれますし、そのための一歩を踏み出すことで、目標や夢に近づいていることを実感でき、心の底から笑えるようになります。目標があれば笑えますし、笑えば目標を達成しやすくなります。この2つは相互に作用するものなのです。
安積 中
あづみハッピー歯科医院院長