未来のライバルに、自分の時間を無償提供するなんて…
もしもあなたが研究者で、ビジターとしてアメリカの大学に行けば、たいていの人は親切です。数ヵ月から一年程度しかいない客員教授であれば、文字どおりお客さん。「どうせすぐ帰るだろう」という目で見られるので、誰もが愛想よく接してくれます。
1987年、私が客員研究員として渡米した際もそれは同じで、スタンフォードの研究者たちはフレンドリーでした。「へえ、日本から来たの」「どうだセイジ、慣れたか?」と気さくに声をかけてくれたものです。
しかし、そのまま研究者として居残って、自分たちの競争相手になったとなれば話は別です。スタンフォードは身内となれば居心地がいいところですし、最初からそれほど極端なことはありませんでしたが、他の大学の知人からこんな話を聞いたことがあります。
「客員研究員の頃は親切だった人が、正式に大学の研究者になった途端、握手もしてくれなくなった。まさに掌(てのひら)返しだよ!」
これはアメリカ人のわかりやすさと、アメリカが苛烈な競争社会であることを映し出すエピソードです。
エレベーターで一緒になったら知らない人でも「ハーイ!」と声をかけ、ランニング中にすれ違う人に「いい天気だね」と微笑むのは、単なるアメリカのマナーであり習慣です。個人的には優しい人であっても、ビジネスの場では日本流の手取り足取り面倒を見るという親切はいっさい期待できません。誰も仕事は与えてくれない。新人だろうと他所(よそ)から来た新参者だろうと説明もしない。「これをやって」と指示もしない。「親切・不親切」というよりも個人主義で、自分のことは自分でやる。これがシリコンバレーのデフォルトなのです。
自分が何をやりたいか。どうすればそれができるか。仕事を作る、仕事を探す、人とお金を集める、成果に直結するように計画を立てて実行する──。これらは全部、成功者から盗み、自発的にやらねばなりません。そして、うまくいかなかったら分析して修正し、成果を出すのも自分の責任です。最終的に失敗に終わったら、仕事を失う責任も含めて引き受けなければなりません。
こうしたプロジェクトを一人一人が猛スピードで進めていくのが当然という了解のもと、誰もが必死でやっているのですから、他人に手取り足取り指示を出したり、仕事を与えたりする暇はないのです。ましてやライバルになるかもしれない相手に、有限である自分の時間を無償で差し出すお人好しはいません。
これを「冷たい、厳しい」と取るのか、「自立していて自由だ」と取るのかは、人それぞれだと思います。私の場合、後者でした。
まるで子どものように「コピー機はこう使え、トイレはあっちだ」と説明してもらい、「君にはこのプロジェクトの、ここを担当してもらう」と仕事を与えられ、「目標は売り上げ**円だ」と課題も設定され、「そのためには先輩に同行してこのやり方をしなさい」と教えられ、「会議で決裁するのが我が社のやり方だ」と既存のシステムに従う──。こうした日本式の親切は、私には今も昔も、自由がない働き方に思えます。決められたことを指示通りにやるだけで何年も過ごし、結果が出たのか出ないのか、誰の成果かもわからないというのは、生来、どこか気ままなところがある私には向いていなかったのだと思います。
私個人を離れても、「教えられない、指示をされない」というのは、よるべないように見えるぶん、裏を返せば「自分のやり方で働ける」という自由があるのではないでしょうか?組織の枠組みが大きく変わり、働き方が変化するポスト・コロナ時代に適応するには、厳しさに裏打ちされた自立と自由が必要だと私は考えています。また、自分がスタンフォードで睡眠研究という生涯をかけるテーマと巡り合えたのも、自立と自由があったからだと感謝してもいるのです。
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