だが、大学に入ったころから、彼女は次第に情緒不安定になっていく。それまでは、目標とする大学に入ることに希望をもち、良い成績をとることで心のバランスをとっていたのだが、一流大学には優れた学生が大勢いて、成績も「優」どころか「良」や「可」を取るのがやっとということも増えた。彼女のプライドを支えていた優等生であるということも、維持できなくなってきたのである。
そのころから、「死にたい」という気持ちが心に巣食うようになり、ひそかに自傷行為をくり返すようになった。苦しくて仕方がなく、近くの心療内科に駆け込んで、薬の処方も受けるようになった。その薬を大量に飲み、最初の自殺企図をしたのが、大学一年の秋のことだった。親は、最初は慌て、一時的に優しくしてくれたが、三回、四回と重なるに連れて、「いい加減にしろ」「こっちの迷惑も考えてくれ」と逆ギレするようになった。親との関係は以前にも増して、冷え切ってしまった。
それでもどうにか、大学院に進学した。最初のうちは教授とも良好な関係で、成果を認められていた。しかし、その期待に応えて完璧に課題をこなそうとするほど、自分の限界にぶつかり、また自殺企図をしてしまった。
結局、大学院を辞めて、就職。そこでも最初は頑張っていたが、責任が増えるにつれて、潰れて自殺企図をするというパターンをくり返した。不本意ながら退職に追い込まれ、「何もかも失ってしまった」という絶望感だけが残った。そんな傷だらけの状態で、クリニックにやってきたのだ。
●再生への第一歩
あまりにも状態が悪かったので、入院できる医療機関を紹介するか、正直迷った。しかし、途方に暮れた姿を見て、何とか支えてあげたいという気持ちに結局逆らえず、治療を引き受けることになった。ただ、絶対に自殺しないことを約束してもらい、これ以上状態が悪化するときは、入院になることも告げた。
通院とカウンセリングが始まったが、その表情はまだ暗く、何の希望も見つからないという様子だった。我々にできることは、彼女にとって少しでも安全基地となれるように、細心の注意を払いながら、彼女の話に耳を傾けることだけだった。
その甲斐あってか、少しずつ明るさが戻ってきたが、それでもまだ、無気力な生活が続いていた。
和葉さんが「親から見捨てられた」との思いを強く感じているのを見て取った担当医は、ご両親に一度会いたいのだが、来てもらえるだろうかと聞いてみた。和葉さんは、来てくれるかわからないと答えたが、担当医からの希望を両親に伝えることには同意してくれた。
それからまもなくして、ご両親がやってきた。担当医は、両親が来てくれたことに感謝を述べてから、和葉さんの病状を説明した。
いろいろ事情が重なって、ご両親も大変だったでしょうが、和葉さんも寂しい気持ちを我慢してやってきたこと。ご両親に認めてもらおうとして、学業で頑張っていたが、それが思うようにいかなくなったとき、自分を支えきれなくなって一気に自己否定が強まってしまったこと。自分は何をやってもダメな人間で、生きている値打ちもないと思っていること。そこを何とかしないと、いずれ和葉さんは死んでしまう危険も大きいこと。
そしてそれを避けるために、何とかご両親の力を貸してほしいとお話ししたのである。
ご両親は涙ぐみながら、和葉さんに寂しい思いをさせてきたことを振り返り、「自分たちにできることがあれば、してやりたい」と話された。そこで、安全基地となるために気をつけること、そして、何よりも親らしい優しさが大切であることをお伝えした。