ピンチのときほど、運命的な出会いが起きることも多い
人間は成長し、変わることのできる存在である。しかし、容易に変われない存在でもある。現状の自分というものにしがみついてしまうところもある。どんなに不都合を抱えていようと、また、このままでは困ることになると頭ではわかっていても、とことん困り切るまで、現状を続けようとすることも少なくない。
自分で早く気がついて、生き方を変えられれば、それに越したことはないのだが、そんなふうにはなかなかいかないようだ。どうにも変えざるを得ないような体験があって、初めて本気で変わろうと思い始め、回復のプロセスのスイッチが入ることが、むしろ多いのである。とことん落ちて、心の底から何とかしたいと思うような土壇場まで追い詰められる体験が、重い課題を抱えた人ほど、必要なのかもしれない。
つまり、逆の見方をすれば、物事がうまくいかず、大ピンチだといえるときほど、抱えてきた課題を克服し、大きく成長するチャンスかもしれないということだ。そしてそうした状態のときには、運命的な出会いが起きることも多い。
なぜなら、ピンチのときほど、人は救い手を必要としており、必要は発明の母だからである。弱り切ったときほど、しっかりかかわれば、強い絆が生まれるチャンスにもなる。本人にとって成長と回復のチャンスであるだけでなく、その人を支えようとしている者にとっても、安定した愛着を取り戻し、本人を回復軌道に乗せるチャンスなのだ。本人がピンチのときほど、しっかりかかわることである。
ただ、奈落に落ちた状態のときには、一つ間違えば、命を捨ててしまうかもしれない。それは生きるか死ぬかのぎりぎりの状態である。そこから立ち上がれるかどうかを左右するのは、自分から何とかしようとする勇気をもてるかどうかかもしれない。
自殺企図をくり返した女性のケース
三十代前半の女性・和葉さん(仮名)が、希死念慮と、「人に会うのが怖い」と訴えて、クリニックを受診してきた。和葉さんは、三人きょうだいの真ん中に生まれ、小さいころは、大人しく手のかからない子だったという。
小さな工場を自営していたので、両親とも忙しく、おまけにいちばん末の妹が病弱で、そちらに母親の関心はとられてしまい、和葉さんは放っておかれることが多かった。彼女の面倒を見たのは主に祖母であった。大きな借金を背負っていた上に、景気が悪く資金繰りが苦しいことも度々で、両親の間にはいつも緊張感があり、怒鳴り合いのケンカは日常茶飯事であった。
和葉さんは、ひどいことを言われても何も言い返せないところがあり、いじめられることもあった。とくに小学五年生のときのいじめは陰湿で、その後彼女は、人に対する恐れを引きずるようになる。それでも、勉強はよくできた。それが彼女にとっての唯一の自信となっていた。
中学・高校と進学校で過ごし、特段の問題もないままに、一流で知られる国立大学に進む。将来は研究者になりたいと思っていた。