孔子は「道徳」と同様、「経済」にも関心をもった
■仁義道徳こそ安全弁
旧時代のように、生産や利殖を最小限にすれば、弊害は少なくなるかもしれない。しかし、それでは国が豊かにならず、進歩も止まってしまう。
どこまでも富を進め、富を擁護しながら、結果として罪悪の伴わない真正な富を築こうと思ったら、どうしても守るべきひとつの主義を持たねばならない。それはすなわち、私がいつも言っている「仁義道徳」である。
仁義道徳と生産利殖とは決して矛盾しない。だから、この根本的な理論をハッキリさせ、「こうすれば道を踏み外さない」ということをじゅうぶんに研究しよう。その上で、私たちはびくびくせず進んでいけばいい。
これができれば互いに腐敗・堕落に陥るといったことはない。国家的にも個人的にも、正しいやり方で富を増やしていくことができると信じている。
■経済なくして道徳なし
孔子は切実に道徳を語っているけれど、同時に経済にも相当の関心を持っていたと思う。
『論語』の中に、ちらほら出てくるが、とくに『大学』では、生計や財産についての正しい道が説かれている。
世の中のリーダーになって政治を行うには、政務活動費はもちろん、国民の衣食住の問題も出てくる。つまり金銭と無関係ではいられない。
一方で、国を統治し、人心を安らかにするためには道徳が必要になる。だから道徳と経済を調和させなければならないのだ。